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6つの前奏曲(序奏)とフーガ K6.404a

  1. 前奏曲 Adagio とフーガ ニ短調
  2. 前奏曲 Adagio とフーガ ト短調
  3. 前奏曲 Adagio とフーガ ヘ長調
  4. 前奏曲 Adagio e dolce とフーガ ヘ長調
  5. 前奏曲 Largo とフーガ 変ホ長調
  6. 前奏曲 Adagio とフーガ ヘ短調
〔編成〕 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年 ウィーン?

よく知られているように、1781年ザルツブルクの束縛から逃れ、ウィーンで自立の道を選んだモーツァルトはマリア・テレジア女帝の侍医の息子ゴットフリート・スヴィーテン男爵を囲むサークルと関係をもつことでJ.S.バッハのフーガを研究し始めた。 男爵はヨーロッパ各地に外交官として滞在するうちに膨大な数のバロック時代の鍵盤音楽の楽譜を蒐集していて、とくにヘンデルの作品の総譜は数多く所有していたのがきっかけとなったのである。
1782年4月
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1782年4月10日、ウィーンからザルツブルクの父へ
ぼくは毎日曜日の12時に、スヴィーテン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。
ぼくは今、バッハのフーガの蒐集をしています。 ゼバスティンのだけでなくエマーヌエルやフリーデマン・バッハのも。 それからヘンデルのも。 そしてぼくのところには、この・・・だけが欠けています。
[手紙(下)] p.54
男爵はモーツァルトに演奏させて聴いたあとで、それらの作品をモーツァルトが自宅に持ち帰ることを許したという。 このときモーツァルトはグラーベン通り1175番地のアルンシュタイン・ハウス(Adam Isac Arnstein 所有)の3階(日本流の4階)に住んでいた。 彼はそこでフーガの研究に没頭するうちに、この弦楽三重奏曲「6つの前奏曲とフーガ」を書いたのかもしれない。
ファン・スヴィーテンは、モーツァルトが徹底的にバッハを研究するための機会となった。 モーツァルトはこの庇護者の弦楽三重奏団のために、まず『平均率クラヴィーア曲集』のなかから3曲のフーガ、『フーガの技法』のなかから1曲、オルガン・ソナタ(2番)1曲、さらにW・フリーデマン・バッハのフーガ1曲を編曲した。 これらのうちの4曲には、緩いテンポの前奏曲をつけ加え、他の2曲のためにはバッハのオルガン・ソナタのなかの楽曲を前奏曲として利用した。
[アインシュタイン] p.217
つまり以下のようにバッハのフーガに前奏曲(序奏)をつけた構成で6曲から成る作品集を書いたといわれる。
  1. モーツァルト作の序奏と、バッハの平均率クラヴィア曲集第1巻第8番嬰ホ短調(BWV853)をニ短調に移調したフーガ。
  2. モーツァルト作の序奏。 フーガは第2巻第14番嬰ヘ短調(BWV853)による。
  3. モーツァルト作の序奏。 フーガは第2巻第13番嬰ヘ長調(BWV852)による。
  4. 序奏はセバスティアン・バッハのオルガン・ソナタ第3番第2楽章、フーガは「フーガの技法」第8番。
  5. 序奏はオルガン・ソナタ第2番第2楽章、フーガは同第3楽章。
  6. モーツァルト作の序奏。 フーガはヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのフーガ第8番。
ただし序奏の作者は不明であり、モーツァルトの作かどうかはわかっていない。

アルンシュタイン・ハウスには長男ナータン・アーダム(Nathan Adam von Arnstein)と妻フランツィスカ(Franziska、旧姓イッツィヒ Itzig、愛称ファニー Fanny)も同居していたが、この建物にはファニーがベルリンからもってきたバッハ・コレクションの筆写譜がいくつか保存されていたという。

そこにはエマーヌエル・バッハの6つのフーガ Wq119 の写し、J.S.バッハのオルガン用トリオ・ソナタ BWV525~530 の二台ピアノ用編曲の彼女自身による写しがあり、後者から3つの楽章を、モーツァルトは弦楽三重奏曲に編曲している(K404a)。 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの『8つのフーガ』Fk31 も、おそらく入っていたことだろう。 なぜならそれらのフーガはイッツィヒ家でとくに好まれ、J.S.バッハの『平均率クラヴィーア曲集』からのフーガと一緒に保管されていたからである。 したがって、モーツァルトが集めて研究しようとした3人のバッハによるフーガが、好都合にも家主の楽譜棚に置かれていたことになる。
[ヴォルフ] p.81
モーツァルトはスヴィーテンのだけでなく、ファニー・アルンシュタインの充実したコレクションにも囲まれていただけでなく、さらに、ウィーンにはバッハと深い関係のある人物が集まっていて、彼はその真っ只中にいたのである。
周囲の有力なパトロンが、ある者はJ.S.バッハが鍵盤で発揮する驚くべき妙技の現場に居合わせ(カウニッツ、ヴルプナ)、ある者は息子たちと関係をもち(ヴァン・スヴィーテン、フォン・ブラウン、イッツィヒ姉妹)、ある者は弟子たちと関係をもっていた(リヒノフスキー)からである。
同書 p.80
そしてヴォルフは「モーツァルトは自分がバッハの環境にいるかのような錯覚に陥っていた」と言っている。 これは「好都合」どころか、モーツァルトは芸術の女神ミューズから「幸運」を授かっていたと言ってよいだろう。 [ヴォルフ]は上記の人物、カウニッツ、ヴルプナ、フォン・ブラウン、イッツィヒ姉妹などについて、バッハとの関係を詳しく説明している。

しかしこの弦楽三重奏曲「6つの前奏曲とフーガ」の作者がモーツァルトであるという証拠はなく、1782年当時のモーツァルトを取り巻く状況から推測される仮説に過ぎない。 アインシュタインは「この曲をモーツァルト以外に書き得たのはアルブレヒツベルガーしかいない」と言うことで逆説的に証明しようとしていた。 現在はこの曲を疑作とする説が強く、「新全集」からは省かれている。

〔演奏〕
CD [NECアベニュー NACC-5043] t=43'30
ターナー四重奏団 Quatuor Turner / シャモロ Adrian Chamorro (vn), モッチア Alessandro Moccia (vn), ヴァッスール Jean-Philippe Vasseur (va), スヴェイストラ Ageet Zweistra (vc)
1990年12月
CD [PHILIPS PHCP-3884] (1,2,3) t=20'23
グリュミオー・トリオ / グリュミオー Arthur Grumiaux (vn), ヤンツェル Georges Janzer (va), ツァコ Eva Czako (vc)
1973年1月、スイス、ラ・ショードフォン
CD [クラウン・レコード PAL-1088] (2,4,5,6) t=28'50
ベラルテ・アンサンブル
1985年

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2017/09/10
Mozart con grazia