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ピアノ協奏曲 第11番 ヘ長調 K.413 (387a)

  1. Allegro ヘ長調 3/4 ソナタ形式
  2. Larghetto 変ロ長調 4/4 二部形式 (モーツァルト自身のカデンツァあり)
  3. Tempo di Menuetto ヘ長調 3/4 ロンド形式 (同上)
〔編成〕 p, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1782年12月末 ウィーン
1782年12月






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この頃になるとモーツァルトは、興行師と組んで自作自演の演奏会を催すことで分け前を手にするよりも、自分で企画した予約演奏会で収入を得る方がはるかに良いこと、またそれが実現可能であることを十分に知っていた。 ソロモンが次のようにまとめている。

しかし宮廷劇場を使って個人の収益のための演奏会を開くのには、競争相手も多く、日程の空きも限られており、一年一回の使用しか望めなかった。 彼は自分のソロと小型オーケストラのための演奏会シリーズを毛色の変った場所でやることを思いついた。 たとえばトラットナーホフであり、メールグルーベであった。 トラットナーホフというのは、大きな住居用の建物で、所有者のヨーハン・トーマス・トラットナーの名を取ってそう呼ばれていたが、そこには十分にコンサート・ホールとして使えるような大きな部屋があった。 メールグルーベというのはレストラン兼ホテルであったが、そこにダンスホールが併設されていた。 1784年にはトラットナーホフで3回のコンサートを開き、翌85年にはメールグルーベで6回のコンサートのシリーズを開催している。 その他、貴族の私邸で行ったコンサートは84年が少なくとも18回、85年が5回となっている。
[ソロモン] pp.455-456
このような演奏会を続けるなかで、モーツァルトは「ウィーンの音楽通たちと、それほど欲のない、ほどほどの宮廷人たちの間にある美学的な感性の間のギャップ」(ソロモン)に橋をかける必要を痛感し、また、専用の演奏会場でフル・オーケストラをバックにしたピアノ演奏という形式にこだわらず、弦4部だけと上記のような会場でも演奏できる作品の必要性も十分に認識していたのである。 ソロモンは「明らかに既成の音楽ファンに応えようとしているのではなく、新しい聴衆を作り出す叩き台を試みているといえる」といっている。 モーツァルトは今までにない革新的な興行形態を開拓しつつあったのである。

メシアンによれば「春の午後のような光と影に満たされている」というこの曲はこうした状況のなかで作曲された。 この年の12月28日に父に宛てた手紙には、モーツァルトの作曲に対する心構えが(それは父を納得させる目的も兼ねていると思われるが)示されている。

ところで、予約演奏会のための協奏曲が、まだ二つ足りません。 出来た協奏曲は、むずかしいのとやさしいのの丁度中間のもので、非常に華やかで、耳に快く響きます。 もちろん空虚なものに堕してはいません。 あちこちに音楽通だけが満足を覚える箇所もありながら、それでいて、通でない人も、なぜか知らないながらも、きっと満足するようなものです。 切符は現金6ドゥカーテン(27フローリン)で頒けています。
[手紙(下)] p.85
このとき完成していたのは第12番(K.414)であり、まだ足りない二つはこの第11番(K.413)と第13番(K.415)である。 これら3曲は上の手紙に書かれたモーツァルトの美学を象徴する一連の作品である。 年が明けてすぐ3曲が出版される(4ドゥカーテン)ことが父に伝えられているので、残りの2つの協奏曲は1782年12月末に完成されたことになる。 また上の手紙にある予約演奏会がいつ催されたかよくわからないが、当時のクラーマーの「音楽雑誌」には
ヴィーン、1783年3月22日、有名なクラヴィーア奏者モーツァルト氏は、国民劇場で演奏会を催した。 彼自身の非常に人気のある作品が上演された。 この演奏会は大変な大入りに恵まれた。 モーツァルト氏がフォルテ・ピアノで演奏した二曲の新しい協奏曲と幻想曲は大喝采を博した。 いつもの習慣と違って演奏会を通して臨席された我等が君主も全聴衆もかつて例を見ない程の大拍手を送った。 演奏会の収入は合わせて千六百グルデンに上った。
[ドイッチュ&アイブル] p.167
という記事が残っているので、作曲された1782年12月末からその演奏会のあった1783年3月22日までの間に、たぶん何度かこれらの協奏曲が(それが K.413、K.414、K.415 のどれかは不明だが)演奏される機会があり、ウィーンの聴衆に「非常に人気のある作品」として知られていたものと思われる。 アインシュタインは「モーツァルトはヴィーン人の趣味をぴったりと射当てたのである」と言っている。 また、演奏会場に合わせて弦四部だけでも演奏可能であるように作っているという、作曲者がセールスポイントとして考えていた点については、アインシュタインは
モーツァルトがこれらのコンチェルトの演奏に容認した二つの可能性、すなわちオーボエとホルンを持つ完全なオーケストラを伴う場合と、弦楽四重奏のみを伴う場合との二つがあるということは、それだけですでにここでは《大きな》コンチェルトが問題にならないことを示している。 管楽器は重要でなく、弦楽器だけですでに十分表現するもの以外はなにも表現できない。 管楽器は色合をつけるか、またはリズムを強調する機能しか持たない。 ピアニストはこれら三曲を弦楽四重奏の伴奏によって、室内で非常に立派に演奏することができる。
[アインシュタイン] p.406
と評している。 モーツァルトはこれら3曲を予約注文で売り出そうとしたことが当時の「ヴィーン新聞」記事(1783年1月15日)で知られているが、もちろんこのセールスポイントが強調されている。
楽長モーツァルト氏は尊敬すべき聴衆の方々に新たに作曲されたクラヴィーア協奏曲三曲の出版を発表した。 この三曲の協奏曲は管楽器を含む大管弦楽団でも、単なる四重奏、即ちヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1とでも演奏可能であり、本年四月初めに出版される。 (浄書し作曲者自身で目を通した後)予約注文者にのみ分配される。 予約は今月20日から3月末まであり4ドゥカーテンであることを付記しておこう。 彼の住居はホーエン・ブリュッケ、ヘルベルシュタイニッシェ・ハウス第437の四階にある。
[ドイッチュ&アイブル] p.166
出版社の都合で売れるならばどちらでもという作者のしたたかな考えのもと、モーツァルトは「あまりに大きな我意によって聴衆を突き放さずに、迎合によって彼らに採り入ろうとした」(アインシュタイン)のであった。 それでも父レオポルトは「金額が高すぎるのではないか」と心配していた。 それに対して、モーツァルトは「1曲につき1ドゥカーテンの価値がある」と強気で、1月22日の手紙には「もう3回も広告を出した」と書いている。 しかし、この予約注文は成功しなかった。 同年4月に今度はパリの出版社シベールに30ルイ・ドールで売ろうとしたことが残された手紙(1783年4月26日)でわかっている。 そこでもまた、これら3曲が「フル・オーケストラでも、四重奏でも演奏可能である」ことを強調している。 そして競争心を煽るように「ウィーンの出版社アルターリアが印刷したがっているが、あなたに優先権を委ねる」と持ち上げることも忘れなかった。 その価格は4ドゥカーテン(18フローリン)の約18倍の金額であるから、モーツァルトは先の予約注文の18件ほどに相当する収入が得られればいいと考えたのかもしれない。 しかしこの交渉も不成功に終り、結局これら3曲は1785年3月29日にアルターリア社から「作品 IV」として出版された。 その頃の新聞広告では「それぞれ2フローリン30クロイツァー」という価格であり、最初の強気の予約注文のときより3分の1に下がったことになった。 パリではようやく10月にルデュックという出版社が「モーツァルトの最初のピアノ協奏曲」としてこの第11番(K.413)の広告を出している。

モーツァルトがこの作品に仕組んだ「音楽通だけが満足を覚える箇所」とはどこだろうか。 アインシュタインは

三楽章のすべてにわたって全くの聴衆への迎合が現れており、ただロンド、テンポ・ディ・メヌエットの精緻な対位法的作風においてのみ《識者》に特別なものを提供しているだけである。 もちろん第一楽章としてはきわめて異常な三拍子のなかにもまた、この特別なものはある。
[アインシュタイン] p.407
と言っている。 また、ザスローは変ロ長調のラルゲットの中から「音楽通を待ち受ける特別なもの」を取り出し、
それは、独奏者が紡ぎだす精緻なフィオリトゥーラ(速く軽く奏される装飾的なパッセージ)による薄絹のような創造物である。
[全作品事典] pp.168-169
と言っている。
自筆譜はベルリンのDeutsche Staatsbibl.にあるという。 ザルツブルクSt.Peter (Stiftarchiv)に第1と第2楽章のカデンツァがある。

〔演奏〕
CD [TELDEC WPCS-10100] t=22'56
エンゲル (p), ハーガー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム
1976年
CD [ポリドール F32L-20275] t=23'10
アシュケナージ (p) 指揮フィルハーモニア管弦楽団
1986年、ロンドン

〔参考文献〕

〔動画〕

 

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2012/08/05
Mozart con grazia