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K.32 混成曲「ガリマティアス・ムジクム」 ヘ長調
■作曲 1766年3月 ハーグ |
1763年6月9日、モーツァルト一家は西方への大旅行に出発し、故郷ザルツブル クに戻るのは、約3年半後の1766年11月29日だった。 旅の途中、1765年9月から1766年4月にかけて、一家はオランダに滞在していた。 それは予定外の滞在だった。
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1765年9月19日、デン・ハークからザルツブルクのハーゲナウアーへこの病気は3年前にかかった「連鎖状球菌の感染による頸部の結節性紅斑」の再発と考えられているという。 さらに、この病気から回復したのち、姉と弟はもっと重い病気にかかってしまったのである。 レオポルトは妻マリア・アンナと交代で看病し続けていたが、このときばかりは娘ナンネルの死を覚悟するまでになっていた。 幸いにも奇跡的に一命ををとりとめることができたが、休む暇なく次は息子ヴォルフガングの番となったのである。 1765年12月12日にはハーゲナウアーへ次のように知らせている。
ところでふたたび、私ども人間の計画なぞまったくの無価値なものだという見本がやってまいります。 リルでヴォルフガングがたいへん烈しいカタルにかかりましたが、この子が二週間ほどでいくらかよくなると、今度は私に順番が回ってきました。[書簡全集]I p.235
娘がベッドを離れて一週間、そしてひとりで部屋の床を歩き慣れたか慣れないうちに、11月15日、ヴォルフガングが病気に襲われまして、彼は四週間というもの、この病気のためにまことに惨めな状態におちいり、まったく意識がなくなったばかりか、柔らかな皮と小ちゃな骨骸のほかなんにもなくなったほどでした。 今では五日前から、毎日ベッドから安楽椅子に運ばれています。同書 p.249
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父レオポルトは「ガリマティアス・ムジクム Galimathias Musicum と題したクォドリベット」と記し、初期のモーツァルト作品目録に記載している。 クォドリベット Quodlibet は16〜18世紀に流行した通俗的な混成曲であり、当時の誰でも知っている曲で構成されるが、この作品でも客を飽きさせないように親しみやすく短い曲が次々につらなって演奏され、また、全部の楽器に独奏する機会が与えられている。 このような作品を仕上げるうえで、レオポルトは「オランダのパトロンに対する捧げ物」として十分な効果を発揮するように考えたのは当然であり、そしてそのためには10歳の少年にあれこれ知恵を授け、みずからも手を加えたのも自然でなことである。
自筆稿は両者の筆跡が入りまじっており、第五曲、第九曲、第十二曲の大部分はレオポルトの筆跡で、第十八曲のフーガでも第四十五小節から第百三十二小節まで、レオポルトがモーツァルトのあとを受けて書いている。聴衆が喜びそうな通俗的な曲を書くのはレオポルトの得意とすることだった。 このときはモーツァルト父子が喜んで共同作業したのかもしれないが、息子の方は通俗的な作品をあまり好んでいなかったことは事実である。 その点を踏まえてアインシュタインは両者を通俗性と貴族性とに引き離し、この通俗的な混成曲をモーツァルトにとっては駄作であるかのようにみなしている。 なお、元の曲としてよく知られているのは以下である。
(中略)
この曲が田舎のダンスや宮廷舞曲との混淆からできている点は、レオポルト自身が以前に書いた標題音楽のスタイルに似ているし、部分的には後者からの引用すら含まれている。 だがこの曲に感じられるのは、親子の共同作業の自然さであり、父と子がこうして一緒に作業し、それによって一家の繁栄が推し進められる機会ができることを、二人が喜んでいる様子さえ思い浮かべられよう。 まして、それがモーツァルトの奇蹟を大衆に認知させることになり、結果として一家の収入が増えるとあれば、よけいめでたいことであろう。[ソロモン] pp.94-96
■演奏
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CD [UCCG 6010] t=15'58 オルフェウス室内管弦楽団 Orpheus Chamber Orchestra 1989年12月、ニューヨーク |
シンフォニア「ガリマティアス・ムジクム」ヘ長調
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モーツァルト自身が書き残したものではないが、最初の4曲は「シンフォニア」として切り離された写譜(19世紀の)が残っているという。 ただし楽章の順番は、第3楽章にクリスマス・キャロル「ヨーゼフ、大好きなヨーゼフ」、フィナーレは第3曲アレグロと入れ替わっている。
■演奏
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CD [ポリドール FOOL-20360] t=5'05 ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団 編成 2 ob, 2 hr, 弦, bsの補強としてfg, hc |
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