モーツァルトの作品のなかで、ダンス音楽は宗教曲と並んで数が多く、重要な分野である。
その作品は少年時代から始まるが、やはり多くは晩年に集中している。
1787年12月7日、ウィーンで宮廷作曲家になる。
11月15日グルックが死に、空席となった宮廷作曲家のポストが回ってきた。
多くの候補者の中から、ヨーゼフ2世一人の推薦を受け、待望の職にありつけた。
ただし、前任者の給料2,000フロリンに対して、モーツァルトのそれは800フロリンに過ぎない。
それには宮廷内に彼に反対する者たちの工作があったといわれる。
さらに、後任者となるボヘミア生まれのコジェルフのときには、再び2,000フロリンとなったという。
宮廷作曲家としての仕事は毎年冬期間の舞踏会でのダンス音楽を作ることで、これから死までの間に以下の踊曲を作った。
- 5つのメヌエット ... K.568, 585, 599, 601, 604
- 10のコントルダンス ... K.534, 535, 535a, 565, 587, 588a, 603, 605a, 609, 610
- 9つのドイツ舞曲 ... K.536, 567, 571, 586, 600, 602, 605, 606, 611
舞踏会では、その日に集まる人の身分によって曲が異なり、以下の種類がある。
- メヌエットはフランス宮廷の格の高い音楽で、貴族たちが踊る曲とされ、一般民衆は踊れなかった。
もともとはフランスの農民の踊りで、ステップの幅が小さいことから「ムニュ menu(小さい、細かいの意味)」という言葉から menuet と呼ばれるようになった。
ルイ14世が初めて踊ってから宮廷での優雅で気品を備えた舞曲として広まり、クーラントやパヴァーヌに取って代った。
のちに中間部がトリオとなり、ソナタや交響曲のメヌエット楽章として確立していく。
- 庶民的なのはドイツ舞曲で、誰でも踊ることができた。
男女が組み合って旋回しながら踊るもので、のちのワルツに近い。
庶民的な音楽や流行歌が主題に使われ、モーツァルトの場合、長調で、3/4拍子、16小節の主部と16小節のトリオそしてダ・カーポ、という形式を持つ。
このような舞曲をモーツァルトは「テデスカ」(「ドイツの」という意味のイタリア語)とか「トイッチェ Teutsche」とか呼んでいた。
- そしてコントルダンスはその中間にあった。
元来はイギリスの農民の踊りで、男女が円形になって対面するものだった。それがエリザベス女王時代に洗練された舞踏会用の踊りになり、1710年頃フランスに渡り、「相対の踊り contredance」と呼ばれるようになった。
17〜18世紀にはヨーロッパ中で流行し、メヌエットにつぐ人気があった。4拍子か3拍子で、途中で短調に変るのもある。
ドイツ舞曲のように流行歌を取り入れた8小節の単純な繰り返しが舞踏会では何度も繰りかえされたという。
これらの舞踏用音楽はメロディーとリズムだけの簡単な内容で書かれ、ヴァイオリンや高音の管楽器がメロディーを受持ち、チェロ、バス、ファゴットなどがリズムを受け持つ。
そして内声の主役であるヴィオラは使用されない。
これらの舞曲は作曲順に以下のとおりである。
なお、新全集は行進曲と舞曲をまとめて一つのジャンル区分を形成している。
- K.41d メヌエット (紛失)
■作曲 1767年 ザルツブルク
父が残したカタログに「さまざまな楽器による多くのメヌエット」と記されているのみ。
- K.61b 7つのメヌエット
(1)ト長調、(2)ニ長調、(3)イ長調、(4)ヘ長調、(5)ハ長調、(6)ト長調、(7)ニ長調
■作曲 1769年1月26日 ザルツブルク
1769年の謝肉祭の舞踏会のために? 失われた自筆譜の表紙に日付があったという。
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- K.103 (61d) 20のメヌエット
(1)ハ長調、 (2)ト長調、 (3)ニ長調、 (4)ヘ長調、 (5)ハ長調、
(6)ト長調(13番)、 (7)ニ長調、 (8)ヘ長調、 (9)ニ長調、 (10)ト長調、
(11)ヘ長調、 (12)ハ長調、 (13)ハ長調(1番)、 (14)変ホ長調(15番)、 (15)変ロ長調(14番)、
(16)ト長調(19番)、 (17)ホ長調(16番)、 (18)イ長調(9番)、 (19)イ長調(17番)、 (20)ハ長調
■作曲 1770年か71年 ザルツブルク
モーツァルトは急いで20曲作り、その中から12曲だけ選んで順序をつけた。
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- K.104 (61e) 6つのメヌエット
(1)ハ長調、(2)ヘ長調、(3)ハ長調、(4)イ長調、(5)ト長調、(6)ト長調
■作曲 1771年か72年 ザルツブルク
自筆原稿あるが、真作か疑わしい。
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- K.105 (61f) 6つのメヌエット
(1)ニ長調、(2)ニ長調、(3)ニ長調、(4)ト長調、(5)ト長調、(6)ト長調
■作曲 1771年か72年 ザルツブルク
原稿もなく、作曲時期は不明。
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- K.61g 2つのメヌエット
(1)イ長調、 (2)ハ長調
■作曲 1769年か70年初 ザルツブルク
第1曲は父の手によりフルート2と弦楽の写譜で残り、第2曲はピアノによる自筆譜しかない。
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- K.61h 6つのメヌエット
(1)ハ長調、(2)イ長調、(3)ニ長調、(4)変ロ長調、(5)ト長調、(6)ハ長調
■作曲 1771年か72年 ザルツブルク
第2と第4を除く4曲はトリオつき。作曲時期は推定。
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- K.64 メヌエット ニ長調
■作曲 1769年初 ザルツブルク
父の手になる自筆譜のみ残る。新全集は取り上げていない。
- K.123 (73g) 田園舞曲 変ロ長調
■作曲 1770年4月13日か14日 ローマ
8小節のテーマがヴァイオリンで提示され、それを全員で繰り返す。このようにソロ5回とトゥッティ5回から成る。
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- K.94 (73h) メヌエット ニ長調 トリオなし
■作曲 1770年4月か69年 ボローニァかローマ
管弦楽曲からの編曲かピアノ原曲か不明。
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- K.122 (73t) メヌエット 変ホ長調 トリオなし
■作曲 1770年8月初 ボローニァ
偽作? デラーまたはシュタルツァー作という説もある。
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- K.164 (130a) 6つのメヌエット (トリオつき)
(1)ニ長調、(2)ニ長調、(3)ニ長調、(4)ト長調、(5)ト長調、(6)ト長調
■作曲 1772年6月 ザルツブルク
この頃の曲は新大司教のため。
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- K.176 16の舞踏用メヌエット
(1)ハ長調、(2)ト長調、(3)変ホ長調、(4)変ロ長調、(5)ヘ長調、
(6)ニ長調、(7)イ長調、(8)ハ長調 、(9)ト長調、(10)変ロ長調、
(11)ヘ長調、(12)ニ長調、(13)ト長調、(14)ハ長調、(15)ヘ長調、(16)ニ長調
■作曲 1773年12月 ザルツブルク
この年のカーニヴァル・シーズンのために。少年期の終りを飾る傑作。
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- K.101 (250a) 4つの田園舞曲
(1)ヘ長調、(2)ト長調、(3)ニ長調、(4)ヘ長調
■作曲 1776年謝肉祭 ザルツブルク
第5版までセレナーデ(第2番)に分類されていた。
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- K.269b 田園舞曲
(1)ト長調、(2)ト長調、(3)ハ長調、(4)ニ長調
■作曲 1777年1月 ザルツブルク
全12曲のうち第1、第2、第12の3つと第3の一部だけで、残りは不明。
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- K.267 (271c) 4つの田園舞曲
(1)ト長調、(2)変ホ長調、(3)イ長調、(4)ニ長調
■作曲 1777年謝肉祭 ザルツブルク
他の舞曲を寄せ集めたもの。
短い4曲から成り、8小節ずつ繰り返す舞曲形式。
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- K.363 3つのメヌエット (トリオなし)
(1)ニ長調、(2)変ロ長調、(3)ニ長調
■作曲 1780年? ザルツブルク
成立時期に諸説(1780年から83年まで)ある。
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- K.461 (448a) 5つ(または6つ)のメヌエット
(1)ハ長調、(2)変ホ長調、(3)ト長調、(4)変ロ長調、(5)ヘ長調、(6)ニ長調(未完)
■作曲 1784年1月? ウィーン
ケッヘルはK.461, 462, 463を同時期の作品と考えたが、後者2曲の時期には異論がある。
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- K.462 (448b) 6つの田園舞曲
(1)ハ長調、(2)変ホ長調、(3)変ロ長調、(4)ニ長調、(5)変ロ長調、(6)ヘ長調
■作曲 1783年夏? ウィーン
作風の熟成度からかなり後の作品かもしれないが、K.449以降の自作目録にない。
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- K.463 (448c) 2つのメヌエットと田園舞曲
(1)ヘ長調、(2)変ロ長調
■作曲 1783年夏? ウィーン
現存する原稿に「メヌエットとコントルダンスの組合せでカドリールとする」と記載。
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- K.509 6つのドイツ舞曲
(1)ニ長調、(2)ト長調、(3)変ホ長調、(4)ヘ長調、(5)イ長調、(6)ハ長調
■作曲 1787年2月6日 プラハ
パハタ邸での舞踏会のために。招かれてすぐ作曲を求められ、1時間で書き上げた。
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- K.510 9つの田園舞曲とカドリール (偽作)
(1)ニ長調、(2)ニ長調、(3)ニ長調、(4)変ロ長調、(5)ニ長調、
(6)ニ長調、(7)ヘ長調、(8)変ロ長調、(9)ハ長調
- K.534 田園舞曲 「雷雨」 ニ長調
■作曲 1788年1月14日 ウィーン
宮廷の舞踏会のために。
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- K.535 田園舞曲 「戦い」 ハ長調
■作曲 1788年1月23日 ウィーン
当時「ベオグラードの包囲」というタイトルが付けられた。
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- K.535a 3つの田園舞曲
Three contredances for orchestra
(1)ハ長調、(2)ト長調、(3)ト長調
■作曲 1788年初 ウィーン
ブダペスト国立図書館にピアノ用の写譜「24のコントルダンス」があるが、第1〜16番は真作でないと判明。
ここの(1)はその第1番、(2)は第10番イ長調、(3)は第6番ハ長調に当たる。
■演奏
CD[キング KICC 6039-46] t=2'29 ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団(スミス編曲)
- K.Anh.107 (535b) 田園舞曲 変ロ長調 (断片)
Contredance in B flat for 2 violins, bass, flute, oboe, bassoon, horn. (fragment)
■作曲 1790年か91年 ウィーン
断片 23小節(第1ヴァイオリンのパートのみ)残る。
アインシュタインは1788年初と推定したが、タイソンにより上記に訂正された。
- K.536 6つのドイツ舞曲
(1)ハ長調、(2)ト長調、(3)変ロ長調、(4)ニ長調、(5)ヘ長調、(6)ヘ長調
■作曲 1788年1月27日 ウィーン
彼の誕生日と同じ日付。K.567と一緒に出版され「12のドイツ舞曲」とも言われる。
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- K.565 2つの田園舞曲
Two contredances for 2 violins, bass, 2 oboes, 2 horns, bassoon
(1)変ロ長調, (2)ニ長調
■作曲 1788年10月30日 ウィーン
自作目録に載っているが、楽譜は発見されていない。
- K.565a 田園舞曲 ニ長調 ?
■作曲 1788年?
第2ヴァイオリンのパート譜が32小節。自筆譜は不明。
- K.567 6つのドイツ舞曲
(1)変ロ長調、(2)変ホ長調、(3)ト長調、(4)ニ長調、(5)イ長調、(6)ハ長調
■作曲 1788年12月6日 ウィーン
宮廷劇場での舞踏会のために。K.536と合せて演奏するよう想定されている。
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- K.568 12のメヌエット
(1)ハ長調、(2)ヘ長調、(3)変ロ長調、(4)変ホ長調、(5)ト長調、(6)ニ長調、
(7)イ長調、(8)ヘ長調、(9)変ロ長調、(10)ニ長調、(11)ト長調、(12)ハ長調
■作曲 1788年12月24日 ウィーン
宮廷劇場での舞踏会のために。
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- K.571 6つのドイツ舞曲
(1)ニ長調、(2)イ長調、(3)ハ長調、(4)ト長調、(5)変ロ長調、(6)ニ長調
■作曲 1789年2月21日 ウィーン
宮廷での舞踏会のためのトルコ風の舞曲。
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- K.Anh.106 (571A) メヌエット イ長調 (断片)
Minuet for 2 violins, 2 oboes, piccolo, bassoon, 2 horns, tambourine
■作曲 1789年2月? ウィーン
ニッセンの記録による。第1部は8小節で完成し、第2部は3小節のみ。
- K.585 12のメヌエット
(1)ニ長調、(2)ヘ長調、(3)変ホ長調、(4)変ロ長調、(5)ト長調、(6)ハ長調、
(7)イ長調、(8)ヘ長調、(9)変ロ長調、(10)変ホ長調、(11)ト長調、(12)ニ長調
■作曲 1789年12月 ウィーン
詳しいことは不明。最初の4曲は1788年頃に書かれた形跡がある。
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- K.586 12のドイツ舞曲
(1)ハ長調、(2)ト長調、(3)変ロ長調、(4)ヘ長調、(5)イ長調、(6)ニ長調、
(7)ト長調、(8)変ホ長調、(9)変ロ長調、(10)ヘ長調、(11)イ長調、(12)ハ長調
■作曲 1789年12月 ウィーン
宮廷の冬のレドゥテンザール用ダンス音楽。
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- K.587 田園舞曲「英雄コーブルクの勝利」 ハ長調
■作曲 1789年12月 ウィーン
コーブルク元帥がトルコ軍を打ち破った賛歌として作られた。
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- K.106 (588a) 序曲と3つの田園舞曲
(1)ニ長調、(2)イ長調、(3)変ロ長調
■作曲 1790年1月 ウィーン
自筆譜は紛失。成立不明。新全集は真作から除外した。
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- K.599 6つの舞踏用メヌエット
(1)ハ長調、(2)ト長調、(3)変ホ長調、(4)変ロ長調、(5)ヘ長調、(6)ニ長調
■作曲 1791年1月23日 ウィーン
宮廷での舞踏会のために。
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- K.600 6つのドイツ舞曲
(1)ハ長調、(2)ヘ長調、(3)変ロ長調、(4)変ホ長調、(5)ト長調「カナリア」、(6)ニ長調
■作曲 1791年1月29日 ウィーン
第5曲のトリオでピッコロがカナリアの声を歌う。
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- K.601 4つのメヌエット
(1)イ長調、(2)ハ長調、(3)ト長調、(4)ニ長調
■作曲 1791年2月5日 ウィーン
K.599とK.604とセットで「12のメヌエット」にまとめられた。
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- K.602 4つのドイツ舞曲
(1)変ロ長調、(2)ヘ長調、(3)ハ長調「ハーディ・ガーディ」、(4)イ長調
■作曲 1791年2月5日 ウィーン
第3曲はなぜか独立して(K.611)別に自作目録に書き込まれた。
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- K.603 2つの田園舞曲
(1)ニ長調、(2)変ロ長調
■作曲 1791年2月5日 ウィーン
宮廷舞踏会のために。
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- K.604 2つのメヌエット
(1)変ロ長調、(2)変ホ長調
■作曲 1791年2月12日 ウィーン
K.599とK.601と合わせて「12のメヌエット」として出版された。
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- K.605 3つのドイツ舞曲
(1)ニ長調、(2)ト長調、(3)ハ長調「そり乗り」
■作曲 1791年2月12日 ウィーン
K.600とK.602とともに「12のドイツ舞曲」として出版された。
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- K.607 (605a) 田園舞曲「ご婦人の勝利」
■作曲 1791年2月28日 ウィーン
変ホ長調 断片 53小節まで、残りは紛失。
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- K.606 6つのレントラー舞曲
■作曲 1791年2月28日 ウィーン
自作カタログに「レントラー風の」と記入。自筆譜は不明。
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- K.609 5つの田園舞曲
(1)ハ長調「もう飛ぶまいぞ」、(2)変ホ長調、(3)ニ長調、(4)ハ長調、(5)ト長調
■作曲 1791年? ウィーン
自作目録に載っていない。
第5曲はK.610と同じで、目録に3月6日の日付がある。
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- K.610 田園舞曲 「意地悪娘たち」 ト長調
■作曲 1791年3月6日 ウィーン
K.609の第5番と同じ。
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- K.611 ドイツ舞曲 「ライエル弾き」 ハ長調
■作曲 1791年3月6日 ウィーン
ドイツ舞曲 K.602の第3曲。
2010/01/17