| Mozart con grazia > ピアノ変奏曲 > 12の変奏曲 |
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12のピアノ変奏曲 ハ長調 K.179 (189a)Twelve variations in C for piano on a minuet by Fischer■作曲 1774年12月6日以前(夏?) ザルツブルク |
フィッシャー(Johann Christian Fischer, 1733-1800)のオーボエ協奏曲終楽章ロンドのメヌエット主題をもとに。 そのため「フィッシャー変奏曲」と呼ばれる。 フィッシャーは当時有名なオーボエ奏者だった。 ただし、モーツァルトは1787年にウィーンを訪れていたフィッシャーについて、「この(ロンドンの)オーボエ奏者は(1765年頃)オランダで知り合ったころよりも上達していない。 ひと言でいえば、哀れな学生風の演奏だ」と述べている。 また、彼の協奏曲についても「まったく鼻声だ」と厳しい評価を下している。
変奏すべてがハ長調3/4拍子。易しい技巧で華やかな効果がある。 モーツァルトは好んで演奏していた。 1777年マンハイムでもよく演奏し、さらに宮廷作曲家として職にありつけることを願って、やさしいもの6曲を選んで選帝侯の庶子(息子)カール・アウグストに贈っている。
選帝侯にじきじき申し上げる機会を作るため、フィッシャーのメヌエットをもとにぼくの一番簡単な変奏曲を6つ若い伯爵のところへ持って行こうと決心しました。このときの(選び取られた)6つの変奏曲は残っていない。 その後、マンハイムを去ってパリへ行ったときも、この12の変奏曲を活用した。 たとえば、1778年5月1日の手紙では次のように書いている。 (一部を省略。それを「・・・・」で示す。)
そこへ行った時の女家庭教師の喜びようときたら、パパはとても想像できないでしょう。 とても丁寧に迎えてくれました。変奏曲を取り出して、これは伯爵方のために書いたものです、と言うと、・・・・柴田治三郎「モーツァルトの手紙(上)」岩波書店 p.94
行ってみると、温めてない、ひんやりした、暖炉のない大きな部屋で半時間も待たされました。 やっとのことでシャボー公爵夫人がひどくお愛想をふりまきながら現れて、ご自分のピアノは一つも調律してないので、ここにあるこのピアノで我慢して下さい、と言いました。 ・・・・14年前に神童をもてはやしたパリは、22歳の青年モーツァルトに冷たかった。 母と二人でパリを再訪することになった息子に、父レオポルトは「この人たちはみな喜んで会ってくれるだろう」とパリの知人たちのリストを渡していた。 その中に、ド・シャボー公爵(Duc de Chabot, 1733 - 1807)の名前もある。 グリムが公爵夫人に宛てて紹介状を書いてくれたので、返事を待っていたが何の音沙汰もなかった。 それでも「1週間後に来るように」と言われていたこともあり、モーツァルトは「約束を守って」訪問したのであった。 そして、そのときの様子が上記の通りだったのである。 夫人としてみれば、公爵が帰宅するまでの間、仲間とのデッサン会で、ドイツからわざわざ来たモーツァルトとかいう若いピアニストがBGMを弾いていてくれればいいと思っていたのだろう。
それから夫人は腰をおろして、大きなテーブルを囲んで輪をなして座っている他の紳士たちを相手にデッサンを描き始め、たっぷり1時間もそうやっていました。 それでぼくは光栄にもたっぷり1時間待たされたというわけです。 窓も扉も開けっぱなしです。 ぼくは手だけでなくからだも両足もすっかり冷たくなり、頭までがすぐに痛くなり始めました。 ・・・・
とうとうぼくは、おんぼろピアノを弾きました。 ところが、夫人も紳士がたもデッサンの手を休めず、描きつづけていたのです。 だからぼくは安楽椅子やテーブルや壁に聴いてもらっていたわけです。 そんなひどい状態で、もう我慢がしきれなくなり、フィッシャーの変奏曲を弾き始め、半分まで弾いて、立ち上がりました。柴田治三郎「モーツァルトの手紙(上)」岩波書店 pp.144-145
この変奏曲は、この年(1778年)に K.180, K.353 とともにパリのエーナ社から出版された。 なお、この年の7月、母はパリで客死したことにもふれておこう。
■演奏
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CD [EMI TOCE-11557] t=10'30 ギーゼキング Walter Gieseking (p) 1953年8月 No.3 Studio, Abbey Road, London |
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CD [PHILIPS PHCP-3674] t=18'35 ヘブラー Ingrid Haebler (p) 1975年11月か12月、アムステルダム・コンセトヘボウ |
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CD [SYMPHONIA SY-91703] t=20'34 アルヴィーニ Laura Alvini (fp) 1990年4月 Teatro A. Ponchielli di Cremona Fortepiano Hofmann (c.1780) |
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CD [TOCE-7514-16] t=18'27 バレンボイム Daniel Barenboim (p) 1991年3月 Bavaria Musik Studio |
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CD [NAXOS 8.550611] t=20'41 ニコロージ Francesco Nicolosi (p) 1991年12月 the Moyzes Hall of the Slovak Philharmonic in Bratislava |
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