| Mozart con grazia > ミサ曲 > 第9番 ハ長調「クレド・ミサ」 |
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K.257 ミサ曲 第9番 ハ長調「クレド・ミサ」Missa in C [No.9] (Credo-Messe)
■編成 SATBs, Chor, 2 ob, 2 tp, 3 tb, 2 vn, bs, og |
作曲の動機、時期は不明。 E.シェンクによればブリクセンの司祭シュポウルのために作曲したとも推測されている。
この曲はアインシュタインによれば「モーツァルトの教会音楽の様式における内なる革命的」作品といわれる。
1776年の11月および12月に、モーツァルトは三つのミサ曲をつぎつぎに書いている。 同年春の二重合唱の奉献誦(K.260)と、これらのミサ曲の最初のもの(K.257)とのあいだには、もしこの両作品だけしか知らないとすると、二人の別な作曲家の存在を信ぜざるをえないほどの深淵が横たわっている。モーツァルトが1776年9月4日にボローニャのマルティーニ神父に宛てて
いったい、なにごとが起ったのか? 或る震撼的な体験をきっかけに、モーツァルトをしばらくのあいだ、もっぱら教会音楽だけに向わせる革命が彼の内面に生じ、また教会音楽の様式に関する彼の観念のなかにも、同時に革命が生じたにちがいない。[アインシュタイン] pp.457-458
われわれの教会音楽はイタリアのそれとは大層異なっておりまして、キューリエ、グローリア、クレード、教会ソナタ、オッフェルトーリオあるいはモテットなりサンクトゥス、およびアニュス・デイをすべて具えたミサ、さらにもっとも荘厳なミサよりもつねに長いのでありますが、そのミサを君主お自身が唱えられます時には、45分以上かかってはいけないことになっています。 この種の作曲のためには、特別の研究が必要であります。 それにしましても、それはすべての楽器(戦闘用のトランペット、ティンパニ等も)を用いたミサにならなければなりません。と書いていることはよく知られているが、彼の内面に生じた革命とは「今度は大司教のことを考慮してではなく、自分自身の利益のために熟考したにちがいない」(アインシュタイン)ものであった。 それは「さらに非教会的であり、いっそう心がこめられ、より単純、より個性的な、リート風の教会音楽」(アインシュタイン)であった。 それを踏まえて、ド・ニは次のように述べている。[手紙] pp.41-42
もはやモーツァルトは明らかに、衒学的な対位法を用いることだけが、典礼音楽特有の様式であるとは考えなくなっている。 もちろんポリフォニーの技法をまったく使用しなくなったわけではなく、むしろそれは音楽の表現力を強めるための手段のなってゆく。 このことは作曲家モーツァルトの成長の過程で、とくに宗教音楽の進歩を促す主要な財産の一つともなったのである。有名な「ドレファミ」音型によるクレドの語を何度も繰り返すことからこの呼び名がついた。 同様の K.192 を「小クレド・ミサ」と呼び、こちらを「大クレド・ミサ」と呼ばれている。
日ごろ彼が意を注いでいる音楽の機能的な理想を実現するために、曲を短くそして密度を高めるように努力を払っているのである。 つまり極限にまで狭められた音楽空間のなかで、可能な限り豊かな表現をもつ音楽を作曲するようになったのである。[ド・ニ] pp.47-48
■演奏
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CD[WPCC-4859] t=24'54 アルノルト・シェーンベルク合唱団, アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス 1991年 |
■引用文献
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