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奉献歌 「来たれ、もろもろの民よ」 ニ長調 K.260 (248a)

  1. 来たれ、もろもろの民よ "Venite populi"  Allegro
  2. おお、もろびとにすぐれたる運命よ "O sors cunctis"  Adagio
  3. いざやこそ、宴を挙げて "Eja ergo epulemur"  Allegro
〔編成〕 2 SATB, 3 tb, 2 vn, bs, og
〔作曲〕 1776年6月? ザルツブルク
1776年6月





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作詞者不詳。 「尊き秘蹟のための奉献歌 Offertorium de venerabili Sacramento」と記されていることから、6月のキリスト昇天祭の奉献のために書かれたと思われている。 この曲の編成は2組の4部合唱(SATB)という珍しいものになっているが、このような二重合唱の用法は同僚のミヒャエル・ハイドン(39歳)から学んだとおもわれている。

この曲の特異な点は、四声の二つの合唱のために書かれていて、それぞれが非常に明快な対位法によって呼応し合う、いわゆるヴェネチア学派のコリ・スペツァッティ(多合唱)の手法を取っていることである。 モーツァルトがガブリエリやクローチェの作品を聴いたとも、知っていたとも考えられないが、同僚であるミヒャエル・ハイドンの作曲した二重合唱の曲は絶対に知っていただろう。
[ド・ニ] p.66
と述べている。 これはアインシュタインの見解
モーツァルトはおそらくヴェネツィア学派の二重合唱を知らなかったであろうが、それにもかかわらず彼は、交替、エコー効果、半合唱の交錯というような、ジョヴァンニ・ガブリエリやジョヴァンニ・クローチェに類似する解決に達している。
[アインシュタイン] p.457
に沿った見方である。 ガブリエリ(Giovanni Gabrieli, 1557頃-1612)もクローチェ(Giovanni Croce, 1557-1609)も100年以上も前にヴェネツィアで活躍していた音楽家である。 ガブリエリは祝典的な性格をもつ器楽合奏曲や教会音楽を作り、またオルガン奏者としても著名な人物だった。
ヴェネツィアのガブリエリの音楽は、まぎれもなくバロックの方向を予告するものである。 いや、バロック音楽の出発点といいきってしまってもよいかもしれない。
彼がオルガン奏者として活躍していたヴェネツィアの聖マルコ大聖堂はビザンツ様式によるギリシア十字形のプランを特徴とし、祭壇のギャラリーにそれぞれひとつずつのオルガンが相対しておかれていた。 この二つのオルガンと、そして二手にわかれた合唱団によって、ヴェネツィアの音楽家たち---ヴェネツィア学派の基礎をひらいたフランドル人のアドリアン・ヴィラールト(1480頃-1562)、そしてジョヴァンニの伯父であり師でもあったアンドレア・ガブリエリ(1510頃-1586)たちは「多合唱」(コーリ・スペッツァッティ)の書法を開発していたのである。
[皆川] pp.80-81
モーツァルトがこのような二重合唱編成の曲を作った動機は不明である。 アインシュタインは
自作の連禱のための作曲か、それとも他人の作品のためのものなのかは確実でない。 他人の連禱のための作曲だとすれば、モーツァルトはあまり礼儀正しくはなかったわけである。 なぜなら、三部形式で中心にはアダージョを持ち、そのあとですぐにはじめに帰るこの曲は、二重合唱というぜいたくな編成を要求しており、それもいわば対位法に鼓舞された模擬戦をまじえる二重四部合唱なのである。
[アインシュタイン] p.457
と当惑気味に説明していた。 また一方で、パウムガルトナーはベルナルディ(1613-62)の二重合唱のミサ曲の影響とも見ている。 モーツァルトはザルツブルクの先輩作曲家エーバーリンアードルガッサー、そしてミハエル・ハイドンたちの多声音楽については十分研究していたし、前作の奉献歌「主の御憐みを」 ニ短調 K.222 の成立を考えても、2組の合唱によって呼応し合う対位法に斬新な和声的音楽を融合させたこの奉献歌(ニ長調)が作られたこと自体は不思議ではないのかもしれない。

この曲は三部から成り、ド・ニによれば

最初はアレグロで、終曲にはそれが少し短くなった形で再現されるが、そのあいだに「あらゆる運命にもまして幸せな」という歌詞による、聴く人を瞑想に誘うような非常に表現豊かなアダージョが18小節挿入される。
というように、瞑想的な中間部の前後を厳格な対位法ではさんでいる。 この構成は、「きわめて厳格な教会様式というべき対位法の伝統を、ドラマティックな転調に象徴されるような、非常に目新しい和声的音楽に融合させようとする試み」であるという。 このような特徴を持ったこの曲は、古い音楽の愛好家であったブラームスの好むところであり、1872年12月8にウィーンでブラームス(当時39歳)自らの指揮により演奏されたという。 さらに彼は1873年にはこの曲の初版を斡旋してもいるという。 短いながらも若いモーツァルトの意欲が凝縮されたこの曲に魅了されたのはブラームスだけではない。 アインシュタインは「またフランツ・ヴュルナーがその古典的な『コールユーブンゲン』のなかに、これを無伴奏(ア・カペラ)の形で編入したのもふしぎなことではない」と述べている。

モーツァルトは晩年、コンスタンツェがバーデンの合唱指揮者シュトルに世話になったことから「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618」を贈ったことは有名であるが、そのほかにもいくつかの曲も贈られていて、それらの中にこの奉献歌(ニ長調)も含まれている。

〔詞〕(一部)
Venite populi, venite
de longe venite, populi,
et admiramini gentes
an alia natio tam grandis,
quae habet Deos appropinquantes sibi
sicut Deus noster adest nobis
cuius in ara veram praesentiam contemplamur
jugiter per fidem vivam
an alia natio tam grandis?
O sors cunctis beatior,
o sors sola fidelium
quibus panis fractio et calicis
communio est in auxilium.
   来れ、もろもろの国の民よ来れ、
彼方より来れ
そして、民よ、驚くがよい。
神が我らの近くにいますごとく、
神々の近くにある
偉大なる国の他にありやと。
神の祭壇にて、我らは、我らの信仰により
神のまことの顕現を思う。
かように偉大なる国の他にありや?
聖餐に与るだけで
救われる者には、
何よりも祝福されたる運命、
信ずる者だけが恵まれる幸運。


朝川直樹訳 CD[TELDEC WPCS-4459]

〔演奏〕
CD [PHILIPS 422 749-2〜753-2] t=5'33
ケーゲル指揮ライプツィヒ放送合唱団
1974年11月、ライプツィヒ
CD [UCCP-4082] t=5'33
※上と同じ
CD [COCO-78065] t=4'56
クリード指揮リアス室内合唱団
1988年、ベルリン、イエス・キリスト教会
CD [SRCR-8544] t=4'58
シュミット・ガーデン指揮テルツ少年合唱団
1990年7月
CD [TELDEC WPCS-4459] t=5'34
アルノルト・シェーンベルク合唱団 Arnold Schoenberg Chor, アーノンクール指揮 Nikolaus Harnoncourt (cond), ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス Concentus musicus Wien
1991年12月、ウィーン
CD [AUDIOPHILE CLASSICS APC-101.048] t=5'09
Sigvard Klava (cond), Riga Musicians
1993年

〔動画〕

 

〔参考文献〕


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2013/10/06
Mozart con grazia