Mozart con grazia > 弦楽四重奏曲
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弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 「春」 K.387

  1. Allegro vivace assai ト長調 4/4 ソナタ形式
  2. Menuetto : Allegretto ト長調 3/4
  3. Andante cantabile ハ長調 3/4 展開部を欠くソナタ形式(あるいは二部形式)
  4. Molto allegro ト長調 4/4 ソナタ形式

〔編成〕 2 vn, va, vc
〔作曲〕 1782年12月31日 ウィーン

1782年12月






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よく知られているように、弦楽四重奏曲の古典的形式を確立したのはヨーゼフ・ハイドンであると言われている。 彼の長い生涯に70曲に近い作品を残した。 そのハイドンは1772年に「太陽四重奏曲集」を書いて以来しばらく弦楽四重奏曲の作曲から遠ざかっていたが、1781年に、このジャンルの様式を完成させたといわれる「ロシア四重奏曲集」を作曲し翌年出版した。 それを見たモーツァルトは深く感銘を受け、それに優るとも劣らない6曲の個性的な作品を書き上げ、ハイドンに捧げたことから

の6曲の弦楽四重奏曲はのちに『ハイドン・セット』と呼ばれていることはよく知られている。 モーツァルトがハイドンの作品を研究し、自らのものとして完成させるには相当の苦労があったと思われ、このセットの最初の3曲の自筆譜には後の3曲には見られない、多くの訂正の跡があるという。 しかし一般的に言えば、晩年のモーツァルト(生涯と創造の最後の十年間におけるモーツァルト)は書きかけの作品に、完成された作品にも、満足しなくなり、大小さまざまな変更を加えている、とアインシュタインは言っている。
こういう変更の特に多いのは、ハイドンに捧げられた6曲の弦楽四重奏曲であって、手稿のなかに多くの訂正が見られるばかりでなく、印刷されたパート譜にも変更がある。 それらはみなモーツァルト自身に由来するものである。
[アインシュタイン] p.197
こうして苦心して完成させた6曲の弦楽四重奏曲を、モーツァルトはパリの出版業者シベールから出版しようと考えていた。
(1783年4月26日)
いま他に、2つのヴァイオリンとヴィオラとバスのための6曲の四重奏曲を書いています。 もし、これらもあなたが出版しようと望まれるのでしたら、喜んであなたに委ねましょう。 でも、これらの曲については安売りをしたくありません。 少なくとも50ルイ・ドール以下で手放すことはできません。 もし、このような条件で契約が可能であり、あなたが望まれるなら、パリで、代金と引き換えに私の作品を受け取れる住所を指定しましょう。
[書簡全集 V] p.364
50ルイ・ドールは550フロリンに相当する額である。 しかし金額について双方は合意に至らず、モーツァルトはウィーンのアルタリア社に100ドゥカーテン(450フロリン)で売り渡すことになった。 これら6曲の初版は1785年9月にウィーンのアルタリアから「作品10の1」として出版された。 その初版に、モーツァルトは大先輩のハイドンに以下の献辞を添えたのであった。
(1785年9月1日)
親愛なる友ハイドンに
自分の子供を広い世間に送り出そうと決心した父親は、それを、幸運にも自分の最上の友人となった高名な方の保護と指導にゆだねるのが当然のことだと考えました。 高名なお方、そして私のもっとも親愛なる友人よ、これが取りも直さず、私の6人の息子です。 これらは、本当に永い辛い努力の結実ですが、私の幾人かの友人たちから与えられた希望──これによって私の努力がせめて幾分なりとも報いられたものと考える希望が、私を励まし、私に媚びて、これらの作品がいつかは私にとって慰めになるだろうと思わせます。 もっとも親愛なる友人よ、あなたが最近この都に滞在なさった折に、ご自身私について満足を表明して下さいました。 そのように私をお認め下さったことで何よりも勇気づけられ、これらの作品をあなたに委ねても、まんざらご好意に値しないものではないと、見ていただけるものと思います。 なにとぞこれをご嘉納下さって、その父とも案内者ともなって下さいますように!
(以下略)
[手紙(下)] pp.115-116
アルタリアから6フロリン30クロイツァーで出版されたが、写譜業者トリチェッラとラウシュも(今で言う海賊版を)相次いで売り出した。 ザルツブルクのレオポルトは版刻された曲集を心待ちにしていたが、ようやく12月1日に「郵便馬車による良好な保存状態」で受け取った。 これら6曲の自筆譜については、モーツァルトの死後、コンスタンツェがアンドレに売却し、現在はイギリスの大英図書館が所蔵している。

6曲中でこの曲は最も前衛的であり、いわゆる「モーツァルト・クロマティスム」と呼ばれる半音階が多用され、効果を上げている。 第1楽章の第1主題に現れる音型があとの楽章の主題すべてに織り込まれて、全体の統一がはかられている。 第2楽章メヌエットはフォルテとピアノを次々と交替し、2拍子のような効果を与えているが、このような試みはト短調シンフォニー(K.550)にも見られるという。 トリオはト短調。 この第2楽章 Allegretto(初版譜)は最初は Allegro(自筆譜)と書かれていた。 第4楽章はジュピター交響曲の原型で、フーガの技法をソナタ形式に結び付け、対位法的書法の完成ともいわれる。

このフィナーレは『フガート』としてはじまり、晩年のハ長調シンフォニー(K.551)のフィナーレのように、『学問的なもの』と『ガラントなもの』との対照に戯れている。
つまり、ここで『ガラント』様式と『学問的』様式が統一されたのである。 それは音楽史上の永遠の一瞬である!
[アインシュタイン] p.254, p.324

〔演奏〕
CD [MCA WPCC-4118] t=26'37 ; MONO
バリリQ (バリリ vn1, シュトラッサー vn2, シュトレンク va, クロチャック vc)
1953年頃、ウィーン・コンツェルトハウス
第2楽章 Allegro で演奏。
CD [DENON 28CO-2150] t=28'30
ベルリンSQ (ズスケ vn1, ペータース vn2, ドムス va, プフェンダー vc)
1971年3月、ドレスデン、ルカ教会
CD [TELDEC 72P2-2823/6] t=29'03
アルバンベルク Alban Berg Quartett (Gunter Pichler (1.vn), Klaus Maetzl (2.vn), Hatto Beyerle (va), Valentin Erben (vc))
1977年1月、ウィーン、TELDECスタジオ
第2楽章 Allegro で演奏。
CD [EMI Angel CE32-5727] t=27'39
アルバンベルクQ (ピヒラー vn1, シュルツ vn2, カクシュカ va, エルベン vc)
1987年12月、スイス、ゼーオン、福音教会
第2楽章 Allegro で演奏。
CD [Venus Records TKCZ-79213] t=27'40
ウィーン室内Ens (ヘッツェル vn1, ヒューブナー vn2, シュトレンク va, スコチッチ vc)
第2楽章 Allegro で演奏。演奏年と場所は不明。
CD [PILZ CD 160 225] t=30'04
ザルツブルク・モーツァルテウムQ, Mozarteum Quartett Salzburg (Karlheinz Franke (1.vn), Vladislav Markovic (2.vn), Philippe Dussol (va), Heinrich Amminger (vc))
第2楽章 Allegro で演奏。演奏年と場所は不明。

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2013/09/01
Mozart con grazia