| Mozart con grazia > 弦楽四重奏曲 > 第18番 イ長調 |
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K.464 弦楽四重奏曲 第18番 イ長調
■編成 2 vn, va, vc |
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K464のイ長調の弦楽四重奏曲では、モーツァルトは主題的な音楽言語の探求を実に遠くまで推し進めたため、ただ当時の音楽の状況を乗り越えたばかりでなく、彼自身の作品のなかでも類例がない楽曲をつくり出してしまった。 彼が音楽的抽象化の可能性をこれほど遠くまで推し進めたことはなかった。 このことは当然、観念的な音楽に行きつくはずだ。 ところが、それとはまったく逆に、この実に完璧な形式的弁証法に、おそろしく具体的な一種の心的な崩壊が対応しているのである。よく知られているように、モーツァルトは1784年末、フリーメーソンに入信しているが、オカールは「彼はフリーメイスンに死生の問題の解決を求めた」と考えている。 それが「音楽の面で平静さへの深い憧れとして表現」され、その最終的な表現をこのイ長調の弦楽四重奏曲に見ているようである。 ただしこのような考えはオカールひとりのものではなく、おそらくハイドンを始め、多くの人が感じとっている。 井上和雄は「モーツァルトは遂にイ長調K464までやって来た。このイ長調の弦楽四重奏曲、これこそ弦楽四重奏曲中の弦楽四重奏曲である」と言っている。[オカール] p.102
僕等は何もフリーメーソンを知らなくとも、ここに現れた無類の弦楽四重奏曲の中に、モーツァルトの何ものにもかえがたい真実を、美を感じとることが出来る。 僕等にとってはそれで充分だと思う。 フリーメーソンというものがどういう思想的衣装であろうとも、モーツァルトはここで、二百年後の東洋人を感動させる普遍的な真実に到達しているからだ。なお、ハイドン・セット6曲はアルタリアから出版され、100ドゥカーテン(450フローリン)の報酬を受けたことが父レオポルトの手紙で知られている。
彼自身作曲する時に、単に霊感に導かれたというだけでなく、かなり分析的な視点から曲を構築していたと言えるのかもしれない。 しかしそれにしてもこの四楽章全体を貫く透明で柔らかな雰囲気、そしてそれを支える個々のフレーズに和声は、基本的には彼の霊感によるものとしか思えない。 これはまさに数日のうちに、泉の如く湧き出た楽想の中で書きとめられたという印象を受けるのだ。[井上] pp.222-223
1785年1月22日、ザルツブルクの父からザンクト・ギルゲンの娘ナンネルへ
たった今、お前の弟から十行ばかりの手紙を受け取った。 その中に、最初の予約音楽会が2月11日に始まって、毎週金曜日につづけられること、四旬節第三週目の何曜かにはきっと劇場でハインリヒのための音楽会があって、私にすぐにも来いということ、この前の土曜日に6つの四重奏曲をアルターリアに売って、100ドゥカーテンを手に入れ、その曲を愛する友ハイドンやその他の親しい友人たちに聴かせたこと、が書いてある。 最後に、書き始めた協奏曲に、また取りかかります。 さようなら! とある。[手紙(下)] pp.110-111
のちに、ベートーヴェンもこの曲が気に入ったのか、第4楽章を自ら写譜し、弦楽四重奏曲の作曲法を研究したという。
■演奏
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CD[WPCC-4120/1] t=32'36 アマデウス四重奏団 1950年頃、ロンドン? |
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CD[DENON 28CO-2152] t=30'30 ベルリン弦楽四重奏団 1971年11月、ドレスデン・ルカ教会 |
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CD[TELDEC 72P2-2803/6] t=30'20 アルバンベルク四重奏団 1977年 |
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CD[COCO-78061] t=33'07 ペーターセン四重奏団 1990年、ベルリン |
■引用文献
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