Mozart con grazia > 四手のためのピアノ曲 > ハ長調
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K.521 四手のためのピアノ・ソナタ ハ長調

  1. Allegro ハ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Andante ヘ長調 3/4 三部形式
  3. Allegretto ハ長調 2/4 ロンド形式
作曲 1787年5月29日 ウィーン

JPEG 61 KB 友人ゴットフリート・ジャカン(当時24才)の妹フランツィスカ(Franziska Jacquin, 1769-1853)のために。 自作目録には上の日付で記載されたが、それは父レオポルトが死去した5月28日の翌日である。 写真はザルツブルクの聖セバスティアン教会の墓地にある父レオポルトの墓標である。

この頃、ちょうどこの種の曲を書くことを約束していたのであろうか。 それとも、父の死が作曲の動機として働いたのであろうか。 オカールは「彼の作品目録のなかに、彼に衝撃をあたえたその死別への直接の反応を表わした作品がないかと捜してみてもむだである」と言っている。 それでもやはり、この曲の成立に何かの意味がありやしないかと考えることは興味深い。 前年1786年11月に、「借金返済」を目的として書かれた「四手のためのピアノ曲」 K.501 から半年後に、この曲が作られ、そしてすぐにゴットフリート・ジャカンに送られたことが知られている。 その手紙で親友に自分の父の死を伝え、心情を察してくれと書いている。

君の『アミント』と賛美歌を同封する。 ソナタは妹さんに、ぼくからよろしくと言って渡してくれたまえ。 少しむずかしいから、すぐに取りかかるようにとね。 さようなら。
君の真の友    モーツァルト自筆
お知らせするが、今日帰宅した時、最愛の父が死んだという悲しい知らせを受け取った。 ぼくの情況を察してくれるだろう!
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」 岩波文庫 pp.126-127
この手紙が書かれた日付は不明である。 したがって「今日帰宅した時」と書かれている「今日」も不明である。 この曲が作られてから父の死亡通知を受け取ったという確証はない。 どちらが先だったのかは謎である。 この手紙が送られたゴットフリートはモーツァルトの最も仲の良い友人であったことはよく知られていて、ソロモンが
共通して美神に身を捧げ、合理主義の使徒となり、迷蒙を軽蔑し、正義への情熱を抱いていた。 そして彼らはみな遊びが大好きだった。 彼(ゴットフリート)と同様に妹のフランツィスカもモーツァルトのお気に入りで、歌手で、ピアノの弟子であった。 彼ら三人は毎週ジャカン邸に集まっておしゃべりし、ゲームに耽り、音楽をやるグループの核となる存在だった。
石井宏訳「モーツァルト」 新書館 p.487
と書いている通りである。 そんな集まりのときフランツィスカ(当時18才)と連弾して楽しむために、モーツァルトはこの曲を「練習しておくように」と送ったのだろう。 彼が姉ナンネルほどの力量をフランツィスカに見出していたかどうか不明であるが、すぐに練習に取りかかれば何とかなると考えていたと思われる。 その後、同年10月にウィーンのホフマイスターから出版されたときは富豪ナートルプ(Franz Wilhelm Natorp, 1729-1802)の姉妹、ナネッテ(Maria Anna Clara Natorp, 1766-91、愛称 Nanette、当時21才)とバベッテ(Maria Barbara Natorp, 1769-1844、愛称 Babette、当時18才)に捧げられている。

アインシュタインは

ナネッテとバベッテは、このすばらしいソナタにおいて全く公平に、同等に扱われている。 モーツァルトが自筆譜で二つのパートを《第一チェンバロ》、《第二チェンバロ》と記しているのは特徴的である。 この作品は二台のピアノで演奏した方が効果をあげると思われるからである。 両パートは親密な競争者である。
浅井真男訳「その人間と作品」 白水社 p.371
と述べ、またオカールは
このソナータの最初のアレグロには不安の影もない。 ハ長調が(『後宮からの逃走』の最終主題のように)アクセントのある生きいきとした呼びかけのように鳴り響く。 アンダンテはヘ長調のロマンツェであり、その瞑想的で落ち着いた歌からは、悲しみであれ歓びであれ一切のエートスが取り払われ、いわば孤独の詩というべきものになっている。 突然(ニ短調のピアノ協奏曲におけるように)、ニ短調のインテルメッツォとともに嵐が侵入する。 だが、ここではモーツァルトはデモーニッシュな音楽言語を用いることで、『弦楽五重奏曲ト短調』におけるように何かを要求するといった精神がまったくみられない苦しみを表現する。 だからこそ私たちは、何の断絶感も抱くことなく、すでに最晩年のモーツァルトに実に近い、ロマンツェの冒頭の平静な状態を再び見出すことができるのである。
西永良成訳「モーツァルト」 白水社 p.133
と解説しているように、二人の奏者にこれほどの表現力を求めるソナタはかつてなく、作曲者に今までにはない連弾のための曲を書こうとした動機があったと思われる。 モーツァルトは演奏者の力量に合わせて作曲するのが常だったことを考えると、フランツィスカはかなりの腕前を持っていたかもしれず、ピアノの達人と対等に演奏する「難しさ」を求められたのであった。 そのとき二人の演奏がうまくいったかどうかはわからない。 その後この曲がナートルプ姉妹に献呈されることになった経緯もわからないが、ジャカン兄弟とナートルプ姉妹との親密な交際があったことから、若くて才能のある彼らの間で、この曲が演奏された情況を想像することは興味深い。 のちに妹バベッテはゴットフリートの弟フランツと結婚(1792年)した。 ゴットフリートの方は姉ナネッテと一緒になるつもりがあったかもしれない。 モーツァルトはゴットフリートの気まぐれで移り気な恋心に対して年上の友人としての忠告を与え、「ナネッテにふさわしい人間になったとすれば、僕のお陰だからね」と言っていた。 しかし、ナネッテは未婚のまま25才で夭折した。
なお、神戸モーツァルト研究会第200回例会(2008年4月6日)で論文「再発見されたフランツィスカ・フォン・ジャカンの肖像画」(野口秀夫)が発表されている。

演奏
CD[PHILIPS-422-516-2] t=24'42
ヘブラー Ingrid Haebler (p), ホフマン Ludwig Hoffmann (p)
1977年12月、アムステルダム
CD[POCG-3407-8] t=24'29
エッシェンバッハ Christoph Eschenbach (p), フランツ Justus Frantz (p)
1972-73年、ベルリン
CD[ASV CD DCA 792] t=25'32
フランクル Peter Frankl (p), ヴァーシャーリ Tamas Vasary (p)
1992年
CD[POCL-1410] t=24'17
シフ Andras Schiff (fp), マルコム George Malcolm (fp)
1993年2月、ザルツブルク

 


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2008/11/16
Mozart con grazia