Mozart con grazia > カノン > 「アレルヤ」 ほか
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1788年のカノン

1788年はモーツァルトの最後の3つの交響曲(変ホ長調 K.543、ト短調 K.550、ハ長調 K.551)が書かれ、オカールによれば「円熟期の頂点」と称されている年であるが、彼の現実の生活は「それまでは貧乏であったのが、今や窮乏になるというにすぎない」という状態であった。 富豪プフベルクに急場をしのぐ借金を願う手紙をさかんに書き始めた頃である。 しかし彼は浮世の苦難をそのまま描写するような野暮な音楽家ではなかった。 一方で、音楽愛好家や、気の置けない友人たち、そして妻コンスタンツェも交えて、彼はさかんに冗談を言い合い、ときには悪ふざけに興じることもあった。 たとえば、1783年1月22日の手紙に、新婚早々のモーツァルトは
私たちは家庭でする舞踏会の方が好きなのです。 先週、私の住居で舞踏会をしました。 もちろん、殿方はおのおの2グルテンお金を出しました。 晩の6時に始まり7時に終りました。 たった1時間か、ですって? いえ、いえ、朝の7時です。
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」 岩波文庫 pp.86-87
と書いているが、このようなことがときどきあったようである。 そして、このように破天荒な生活の中からユーモア溢れる曲が即興で無数に生れ、消えていった(楽譜に残されなかった)ものと思われる。 ところで、アインシュタインはモーツァルトの交友関係について
彼が音楽家のあいだにはほとんど一人の友人も、少なくとも親友を持たなかったという事情が加わる。 ・・・
われわれは彼の書簡のなかに、同時代の音楽家たちについての仮借のない判断にぶつかって、いつも驚くし、ときには憂鬱になるのである。 ・・・
芸術に関してはモーツァルトはいささかの妥協も知らなかったのである。
浅井真男訳「モーツァルト その人間と作品」 白水社 p.126
と言っている。 モーツァルトは、同業者に対しての容赦のない批判的態度とは裏腹に、直接の競争相手となることのない音楽愛好家や演奏家とは、心の底から打ち解け、一緒に笑いころげることができたのである。 当然のことながら、そこで歌われ、演奏された曲はくだけた調子のものであった。 そうした機会に作られたものがいくつか、幸い、作曲者自身の手で記録されている。 そして、その中には公開をはばかられる種類の曲があることは、今では、よく知られていることである。 石井はその著書の中で
モーツァルトの歌詞つきカノンは23曲残されている。 そのうちの約半数は、下品猥雑きわまりなく、良識ある人がアッと驚くひどいものかナンセンス・ソングである。
コンスタンツェと結婚してから、死ぬまでの9年間、モーツァルトはその愛妻や、楽士仲間たちと、自分の家で、こんなざれ歌を歌って上機嫌に過ごした。
石井宏「十八世紀のモーツァルト」 帰徳書房 p.127
と書いている。 こうした類いの作品が最後の3つの大交響曲と、アインシュタインが「かつてこの世で聴くことのできた最も完全な、最も洗練された三重奏曲」と称賛したディヴェルティメント K.563 との間に平然と並べられている。 それが9月2日に、「自作全作品目録」に記入された以下の10曲のカノンである。 そこには、四声カノンが8曲、三声カノンが2曲(K.559、K.562)書かれてある。 ただし、それらがこの日にすべて作られたものではなく、以前に既に作ってあったものをまとめて一度に記入したのではないかと思われている。 これらの曲の中には単なる冗談音楽という程度を越して、モーツァルトのスカトロジー趣味(個人的な異常性というより、当時の屈託のない表現方法とも言われている)が発揮された猥雑で下品なものもあるため、20世紀の前半まで公表も録音もされなかった。 現在でもほとんど見向きもされず、評価の対象にもされないことが多い。 しかしここには、モーツァルトの汚点としてできれば消し去りたいものではなく、むしろ何でも音楽にしてしまう自由な作家の姿を見ることができ、真面目なものも不真面目なものも同時に(平等に)作り得た希有の才能を見ることができる。 もっと言えば、道徳に反する内容をもつ「ドン・ジョヴァンニ」「コシ・ファン・トゥッティ」を作り得るならば、これらのふざけたカノンを書くことは造作ないことであろうし、逆にこれらのカノンを書くことができたからこそ、それらのオペラを作ることができたのである。 したがって、「自作全作品目録」にこれらの小曲が並んでいても作者自身にとっては何の不都合も感じなかったはずである。 しかし、のちのブライトコップ版では無難で上品な歌詞に変えられるなどして、約200年間、これらの下品な作品は隠されていた。 作曲者本人にとっては、上品と下品とに分類することは何の意味もないことであったかもしれないが。 あるいは、これらの冗談音楽を学問的に真面目に説明しようとすれば、それこそ作曲者の大笑いになるかもしれない。
 

K.553 カノン「アレルヤ」

作曲 1788年以前 ウィーン

ソプラノ4声。 Allegro ハ長調、2分の2拍子。 24小節。 出だしに、グレゴリオ聖歌「聖土曜日のためのアレルヤ」の冒頭旋律を使っている。 「アレルヤ」を反復する。

演奏
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'00
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=1'33
コンチェントゥス・ヴォカリス女声合唱団
1986, 1990, 1991年

 

K.554 カノン「アヴェ・マリア」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。Andante ヘ長調。 2分の2拍子。 24小節。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。 四声ともソプラノで「アヴェ・マリア」を反復する。 ミュンヘン滞在中、ベルンリート修道院を訪れ、記念帳にこの曲を書いたというエピソードがある。 そのため「ベルンリート・カノン」とも呼ばれる。 ただし彼のベルンリート訪問は確認されていないという。

演奏
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'13
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=2'31
コンチェントゥス・ヴォカリス女声合唱団
1986, 1990, 1991年

 

K.555 カノン「われは嘆き悲しむ」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。Adagio イ短調。 2分の2拍子。 16小節。 カルダーラ詩「7つのカノン」から借用。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。 ヘルテル詞は「ああ、われは悲しみのきわみに Ach zum Jammer bin ich.」
カルダーラ(Antonio Caldara)は1670年頃ヴェネツィアに生れ、サン・マルコ教会の少年聖歌隊に入り、その後、弦及び鍵盤楽器の優れた演奏家となり、18世紀前半にウィーン宮廷楽長を努めていた。 作曲家としても多産家であった。1736年ウィーンで没。


   Lacrimoso son io.
Perduto ho l'idol mio.
Lacrimoso son io.
   私は涙にくれる
私は愛する人を失った
私は涙にくれる
 
石井宏訳 CD[PHILIPS UCCP-4085/7]

演奏
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'54
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=2'00
コンチェントゥス・ヴォカリス女声合唱団
1986, 1990, 1991年

 

K.556 カノン「支度をせよ」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。Allegretto ト長調 4分の2拍子。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。 モーツァルト詞。 ヘルテル詞は「すべての情欲 Alles Fleisch, alles Fleisch」


   Grechtelt's enk, grechtelt's enk
Wir gehen im Prater
Im prater? im prater?
izt lass nach, i lass mi net stimma.
Ei beileib. Ei jawohl.
mi bringst noet aussi
Was blanscht der?
Izt halt's Maul!
Igib d'ra Tetschen
   支度をしてよ、さあ皆さん
プラーターに行くのよ
プラーターだって?
おれ止めた、賛成しかねる
絶対だよ、そうとも
おれを連れて行くな
あの男はなにを言っているの
黙ってなさい、
ビンタが飛ぶわよ
 
石井宏訳 CD[ARCHIV POCA-2065]

演奏
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'13
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=1'42
コルス・ヴィエネンシス
1986, 1990, 1991年

 

K.557 カノン「わが太陽は隠れたり」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。Adagio ヘ短調。 4分の4拍子。 12小節。 カルダーラのカノンから借用。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。


   Nascoso e io mio sol
e sol qui resto
piangete voi il mio duol
ch'io moro presto.
   私の太陽は隠れた、
ここに残っている太陽よ、
泣いておくれ、苦しみに
私がまもなく死ぬのを。
 
石井宏訳 CD[ARCHIV POCA-2065]

演奏
CD[ARCHIV POCA-2065] t=2'17
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=3'04
コンチェントゥス・ヴォカリス女声合唱団
1986, 1990, 1991年

 

K.558 カノン「プラータ公園に行こう、あの森へ」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。Allegro 変ロ長調。2分の2拍子。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。 ヘルテル詞は「すべてこの世のことは空し Alles ist eitel hier auf der Weld」。 モーツァルトによるオリジナル詞はウィーン訛の下品な詞。


   Gehn ma in'n Prada, gehn ma in d'Hötz,
Gehn ma zum Kasperl, zum Kasperl, zum Kasperl.
Der Kasperl ist krank, der Baer ist verreckt,
Was thät in der Hötzt draust, in der Hötz draust
In der Hötz draust? Im Prada giebt's Gelsen
Und Haufen voll Dreck,
Im Prada, im Prada giebt's Dreck.
   プラーダに行こう、ヘッツに行こう
カスペルルのところへ行こう、カスペルルのところへ。
カスペルルは病気で、熊は死んだ。
ヘッツの戸外で何をしようというんだい。
ヘッツの戸外で?プラーダには蚊がいる
汚い人がいっぱいいる
プラーダには汚いものがある
 
東川清一訳 CD[EMI TOCE-6596]

演奏
CD[EMI TOCE-6596] t=2'04
ウィーン・アカデミー室内合唱団
演奏年不明
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'38
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=1'55
コルス・ヴィエネンシス
1986, 1990, 1991年

 

K.559 カノン「マルスとイオニア人になるのは難しい」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。ヘ長調。2分の2拍子。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。 自筆譜は現在次の曲のと一緒にロンドンの大英図書館にある。 歌詞の「私には軍神マルスの話を読むのはむつかしい」という意味のラテン語まがいの詞を発音のおかしい歌手パイエルが何も気が付かずに歌うと、ドイツ語の「俺のケツをなめろ Leck du mich im Arsch」となる。 そこで、モーツァルトは大笑いし、次の歌「おお愚かなるパイエルよ」(K.559a)を合唱した。 ヘルテル詞は「よく考えてみよ Nimm, ist's gleich warm」という無毒なもの。


   Difficile lectu mihi Mars
Et jonicu difficile.
   戦記を読むなんてとても俺にはむつかしい
イオニア詩もむつかしい。

演奏
CD[EMI TOCE-6596] t=1'03
ウィーン・アカデミー室内合唱団
演奏年不明
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'00
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=1'45
コルス・ヴィエネンシス
1986, 1990, 1991年

 

K.559a カノン「おお愚かなるパイエルよ」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。ヘ長調。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。モーツァルト詞。


   O du eselhafter Peierl!
O du Peirlischer Esel!
Du bist so faul
Als wie ein Gaul
Der weder Kpf noch Haxen hat.
Mit dir ist gar nichts anzufangen
Ich seh dich noch am Galgen hangen.
   ああ、なんとバカなパイエル
ああ、パイエルはなんとバカなんだ
お粗末もいいとこ
まるで馬だ、頓馬だ
頭もなけりゃ足もない
おまえのバカは処置なしだ
絞首台にでもぶら下がれ
(以下略)
 
石井宏訳 CD[PHILIPS UCCP-4085/7]

演奏
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=2'37
コルス・ヴィエネンシス
1986, 1990, 1991年

 

K.560 カノン「おお愚かなるマルティンよ」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。ト長調。 1785年?に作曲、1788年9月2日カタログに入る。モーツァルト詞。 前曲の「パイエル」を「マルティン」に変えただけの歌詞。 ヘルテル詞は「Gaehnst du, Fauler, denn schon wieder」。 マルティン(Philipp Jakob Martin, 1750?-1800?)は当時、音楽興行師としてウィーンで活動していた。 モーツァルトは父に1782年5月29日の手紙で

彼は実に見どころのある若者で、その音楽と立派な文章と、それにとりわけ器用さと、頭の良さと、しっかりした考え方で自分の道を切り開こうとしています。
海老沢&高橋編訳「モーツァルト書簡全集V」 白水社 p.243
と伝えている。 事実、彼はこの年、皇帝ヨーゼフ2世から「アウガルテンで12回、市の目抜き広場で4回」セレナードの演奏会を開く許可を得た。 モーツァルトは彼の主催による予約演奏会を開いたこともあり、親しく付き合う仲となっていた。

演奏
CD[EMI TOCE-6596] t=2'44
ウィーン・アカデミー室内合唱団
演奏年不明
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'04
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク

 

K.561 カノン「お休み、ほんとのおばかさん」

作曲 1788年以前 ウィーン

4声。イ長調。2分の2拍子。 モーツァルト詞。 ブライトコップ版(ヘルテル詞)は「お休み、お日様が昇るまで Gute Nacht, bis der Tag erwacht」。


Bona Nox, bist a rechta Ox (お休み、ほんとのお馬鹿さん)
Bona notte, liebe Lotte (お休み、ロッテちゃん)
Bonne nuit, pfui, pfui (お休み、ぷい、ぷい)
Good night, good night (お休み、お休み)
Heute muss ma no weit (今日は逃げないで)
Gute nacht, gute nacht (お休み、お休み)
Schist ins Bett dass's kracht (ベッドにクソして、プリっといわせろ)
Gute nacht (お休み)
Schlaf fei gesund (ゆっくりお休み)
Und reck'n Arsch zum Mund (ケツなめろ)

演奏
CD[EMI TOCE-6596] t=1'20
ウィーン・アカデミー室内合唱団
演奏年不明
CD[ARCHIV POCA-2065] t=1'04
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=1'41
コルス・ヴィエネンシス
1986, 1990, 1991年

 

K.562 カノン「いとしい君よ」

作曲 1788年以前 ウィーン

3声。イ長調。 4分の3拍子。 33小節。 テキストはカルダーラのカノン集「オーストリアの音楽芸術の思い出」から。 ヘルテル詞は「ああ愛らしく、気高き生命 Ach, susses, teures Leben」。


   Caro bell'idol mio.
Non ti scordar di me!
Ah no, non ti scordar di me!
Tengo sempre desio
D'esser vieino a te.
   いとしい君よ
私を忘れないで
ああ、どうぞ忘れないで
君のそばにいる望みを
いつまでもつないでいよう
 
石井宏訳 CD[ARCHIV POCA-2065]

演奏
CD[ARCHIV POCA-2065] t=2'06
北ドイツ合唱団
1955年6月、ハンブルク
CD[PHILIPS UCCP-4085/7] t=2'13
コンチェントゥス・ヴォカリス女声合唱団
1986, 1990, 1991年


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2009/01/04
Mozart con grazia