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K.550 交響曲 第40番 ト短調

  1. Molto allegro ト短調 2/2 ソナタ形式
  2. Andante 変ホ長調 6/8 ソナタ形式
  3. Menuetto : Allegretto ト短調 3/4 複三部形式
  4. Allegro assai ト短調 2/2 ソナタ形式
〔編成〕 fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs(初稿)/2 cl 追加(第2稿)
〔作曲〕 1788年7月25日 ウィーン
1788年7月

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よく知られているように、モーツァルトは「三大交響曲」と呼ばれる変ホ長調(K.543)・ト短調(K.550)・ハ長調(通称「ジュピター」 K.551)の3曲を1788年6月26日から8月10日までの短期間で仕上げている。 そしてその期間の短いことに驚く人も多い。 この時期はなぜか家計が苦しくなり、4月には3曲の弦楽五重奏曲ハ短調(K.406)、ハ長調(K515)、ト短調(K516)をプフベルクの所で予約販売する広告を出したがさっぱり売れず、5月7日にはウィーンで『ドン・ジョヴァンニ』が初演されたが、ウィーンでの上演は年内に15回されただけで、以後モーツァルトの死後まで二度となかったなど、経済的に困窮状態に陥ってゆく最中であり、そしてプフベルクに借金をさかんに申し出ようになっていた時期でもあることがよく知られている。

1788年6月17日
あなたが私の真の友人であることを、そしてあなたが私を正直な男だとお考えになっていることを確信していますので、私は元気が出て、自分の心を打ち明け、次のようなお願いを申し上げる次第です。 私の生まれつきの率直さに従って、あれこれと体裁を飾らず、本題そのものに入ります。
もし、私に対して愛と友情をおもちになり、千ないし二千グルデンを一年か二年の期限で、適当な利子をとってご用立て下さるならば、それこそ私が仕事をして行くのに大助かりとなります!
[手紙(下)] p.136
モーツァルトがどれほど困った状態にあるかをプフベルクは承知していたようで、即刻応じて200フローリン送金している。 ただしそれは依頼者の言う「何の心配もなく、自由な気持ちで仕事をするために必要な大金」ではなく、引越しの費用として「せめて明日までに数百グルデンだけでも貸して欲しい」という申し出に対するものだったようである。 それほどの大金が必要だったのは、6月29日に長女テレジアが病死したり、7月21日にコンスタンツェの姉ヨゼファ(30才)がヴァイオリニストのホーファー(33才)と結婚したりという家庭の事情もあったのかもしれないが、これほどの大作を急いで3曲も用意することになったことを考えると、やはり演奏会のためだったのではないだろうか。 アインシュタインは「1789年に開催するつもりの数回の音楽会」のために書いたのだろうが、「しかし音楽会の開催は、この年にも次の2年間にもできなかった」ため、「モーツァルトは最後の3曲のシンフォニーを指揮したことも、聴いたこともなかったかも知れない」といい、「もはや注文もなく、直接の意図もない。 あるのは永遠への訴えである」と結論づけていた。 しかしその後、このト短調交響曲が書かれてすぐのころに、初稿になかった2本のクラリネットを加えていることと、第2楽章を改訂していることを根拠に、実際に演奏する機会があったというのが定説となっている。
19世紀には、モーツァルトの最後の三曲のシンフォニーは、生前には演奏されなかったというのが神話になっていた。 その理由は単純で、「演奏された確証がないから」というものであるが、筆者はこれらのシンフォニーがウィーンで演奏されたばかりでなく、写譜の形で外国にも渡っていたという証拠があると確信している。
[ランドン1] p.171
ロビンズ・ランドンは変ホ長調(K.543)の自筆譜とは異なるところがある写譜がフィレンツェの大公図書館やブダペストのエステルハージ家古文書などに現存することと、このト短調(K.550)にクラリネットを追加したことをあげ、「こうした手入れを、モーツァルトが単に道楽でやると思うことは全く不可能である」と断言している。 確かに演奏会の機会はかつてないほど減ってはいたが、しかし実際に演奏する機会があったからこそ、「作曲者はもう一度パート譜を調べて、直したいところに手を入れる」ことになったと考えるのが自然である。
モーツァルトがこれほど大きな仕事に実演の見通しももたぬまま取りかかるのは、ありそうもないことである。 事実、ト短調交響曲K550にかかわる資料が、1788~89年のシーズンにそれが演奏されたことを指し示している。
[ヴォルフ] p.62

クラリネットを書き加えた時期は不明(1791年4月頃?、あるいはもっと前)であるが、そのときオーボエのパートが変更された。 その第2楽章の改訂は1789年2月以前と推定されている。 実際に演奏した可能性があったかもしれない機会としては、2回知られている。 その一つは1790年10月15日フランクフルトであった。

慈悲深き許しを得て1790年10月15日金曜日、楽長モーツァルト氏は市立大劇場で自己のための大演奏会を催す。
第1部  モーツァルト氏の新しい大交響曲。 シック夫人の歌うアリア。 楽長モーツァルト氏の作曲、演奏によるフォルテ・ピアノのための協奏曲。 チェカレリ氏の歌うアリア。
[ドイッチュ&アイブル] p.236
ただし、この新しい大交響曲が何なのか確認できない。 「三大交響曲」(変ホ長調 K.543、ト短調 K.550、ハ長調 K.551)のどれか、もっと端的に言えば、この「ト短調 K.550」か、という推測もあり得ないことではないが、その可能性は低いようであり、このときの「新しい大交響曲」とは当時すでに印刷譜が刊行されていた交響曲ニ長調(通称「パリ」 K.297)、変ロ長調(K.319)、ニ長調(通称「ハフナー」 K.385)のうちのどれかという方が可能性が高いという。 ただし、ヴォルフは
10月15日、モーツァルトはフランクフルト劇場でコンサートを開催する。 プログラムは「新作の大交響曲」、すなわち三大交響曲K543、550、551のいずれかで始まった。
[ヴォルフ] p.62
と断言している。
1791年4月




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次に知られているのは1791年4月16日と17日にウィーンの宮廷劇場で開かれた音楽芸術家協会の音楽会である。 そのときアロイジアの歌うアリア(おそらくK.419)などの曲とともに、サリエリの指揮により演奏されたかもしれないといわれている。 その演奏会にはクラリネット奏者シュタードラー兄弟(アントンとヨハン)が出演しているので、クラリネットを追加する必要があったかもしれないからである。 ただしこれにはロビンズ・ランドンが疑問を投げかけている。

しかし自筆譜の中で、後から加わったパート譜用紙の透かし模様は、一枚の例外を除いて、この曲の主要パート譜にある透かしと同じである。 このことは、モーツァルトが本来の自筆譜に完成後ただちに改訂を加えたことを示し、また1788年の演奏会のためにその改訂を行なったことを物語っている。 これらの改訂は決して引き出しにしまっておくためになされたわけではないのである。 この事実は誇張ではない。 モーツァルトは最高の現実主義者だったので、もっぱら目先の特定の演奏会用の作品しか完成させなかったからである。
[ランドン2] p.48
確かにこの「ト短調 K.550」が書かれた1788年夏に、その3年後のためにわざわざ改訂して用意しておくとは考えにくい。 やはり近々にその必要があったと考えるのが自然であり、それを裏付ける当時の音楽会についての資料が見当たらないということだろう。 ロビンズ・ランドンは、1788年の秋に連続予約演奏会があったはずで、そのために作曲したと推測している。 実際に、「作曲者自身が所有し実際の演奏に使った、ないしはその可能性が高い楽譜と考えられる」筆写パート譜(ラノワ・コレクション)が残されている。
モーツァルトと直接的な関連をもった演奏用パート譜であり、第2楽章の2箇所(第29~32小節と第100~103小節)における音符の興味深い修正や作曲者自身によるデュナーミク記号の補足など、楽譜テクストの上でも注目すべき資料といえるだろう。
[樋口] p.226
実際に演奏された可能性が高いと思われるのはスヴィーテン男爵が主宰する音楽会である。 ヴォルフは「スヴィーテン男爵がモーツァルトの三大交響曲の成立と初演にも一役買っていた」と推測している。
男爵の定期的なコンサートとそのプログラムに関する記録は、その私的な性格のゆえに、ほとんど残されていない。 だが1788~89年のシーズンに、モーツァルトが編曲し指揮をしたヘンデルのオラトリオ2曲が含まれていたことはわかっている。 それは『アチスとガラテア』K566(1788年11月)と『メサイア』K572(1789年3月)で、どちらもドイツ語訳の歌詞による上演であった。 オラトリオを舞台にかけるには、しっかりしたオーケストラが必要である。 したがってオラトリオ上演の前後あるいは幕間に交響曲が演奏されることに、不都合はなかったであろう。
[ヴォルフ] p.114
『アチスとガラティア』の編曲では、モーツァルトが行ったことは「管楽器を加えることと、和声を充たすように弦のパートを部分的に書き改めることであり、各2本のオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンの参加によって、オーケストラにモーツァルト的色彩が与えられた」(ロビンズ・ランドン)と言われるが、その編曲の機会にモーツァルトはこのト短調交響曲にもクラリネットを追加するアイデアを思いついたのかもしれない。

このト短調交響曲は一見すると感傷的で優美な印象があるが、複雑で高度な内容を持ち、中でもフィナーレの展開部は調性の拘束を越えて20世紀の音楽を先取りするほど衝撃的である。 その大胆な転調をアインシュタインは「魂の深淵への墜落」と評した。 そして続けて「この転調は同時代人には脱線と見えたにちがいないが、この脱線からモーツァルトだけが再び理性の道に戻りえたのである」と述べている。

よく知られているように、モーツァルトの交響曲のうち短調作品は第25番(K.183)とこの第40番(K.550)だけであり、ともにト短調であることにも関連して、聴く者に強烈な印象を与え、それだけに多くの本で採り上げられ詳しく解説されている。 ここで同じようなことを書いたり、あるいは引用を繰り返すことは野暮であるので、ザスローの言葉でしめくくることにしたい。

モーツァルトの交響曲の中で、この作品ほど多くの論評を喚起した作品はなく、《ジュピター》でさえこれには及ばない。 何百ページものプログラム解説はいうまでもなく、膨大な数の批評や分析が、さまざまな言語で出版されてきた。
(中略)
きわめて多くの論考や単行本がK.550の奇跡的な構造や効果を説明・分析しようと書かれてきた。 遠隔な転調と執拗な短短長格リズムのある、激しいがしかし叙情的な第1楽章について、これ以上なにが書けるだろうか。
[全作品事典] p.265

〔演奏〕
CD [KING K33Y 192] t=24'12
フルトヴェングラー指揮 Wilhelm Furtwängler (cond), ベルリン・フィル Berlin Philharmonic Orchestra
1949年6月、ヴィースバーゲンでのライブ
CD [POLYDOR POCG-9536/7] t=26'20 ; 1962
ベーム指揮 Karl Böhm (cond), ベルリン・フィル Berlin Philharmonic Orchestra
1961年12月、ベルリン
CD [ANF S.W. LCB-102] t=25'37
ベーム指揮 Karl Böhm (cond), ベルリン・フィル Berlin Philharmonic Orchestra
1976年9月、ベルリン、ライブ
CD [CLASSIC CC-1035] t=27'02
ベーム指揮 Karl Böhm (cond), ベルリン・フィル Berlin Philharmonic Orchestra
1977年
CD [ポリドール FOOL 20373] t=35'31
ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music
1982年3月、ロンドン、Kingsway Hall
CD [Polydor GPA-2008] t=30'44
バーンスタイン指揮ウィーン・フィル
CD [Membran 203309] t=26'49
Alessandro Arigoni (cond), Orchestra Filarmonica Italiana, Torino
演奏年不明
CD [LA FORTE LF-1001] t=27'12
大澤健一指揮, ハーツ室内合奏団
2002年11月、三鷹市芸術文化センター(ライブ)

編曲
CD [キング KKCC-2035] t=35'39
ニーウコープ、オールトメルセン (og)
1988年
※ ツェルニー編曲
CD [APOLLON APCZ-2006] I. t=7'36 / II. t=6'36
セントラル・パーク・キッズ
1990年
CD [TOCP 67726] I. t=4'48
チルドレン・コア・オブ・ラジオ・ソフィア/45人のエジプトのミュージシャン
1997年
CD [PCCY 30090] I. t=4'25
ディール (p), ウォン (bs), デイヴィス (ds)
2006年
CD [BICL 62193] I. t=3'11
近藤研二、松井朝敬(ウクレレ)
2006年

〔動画〕 有名な曲なので大変な数の動画があり、以下はそのほんの一部

編曲も多く、以下はそのうちから個人的な選択なので悪しからず

〔参考文献〕

 

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2017/11/19
Mozart con grazia