Mozart con grazia > 教会音楽小品 >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12

69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19
76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25
82
26
83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

奉献歌 「主はほめたたえられよ」 K.117

  1. Benedictus sit Deus Pater : Allegro ハ長調
  2. Introibo dominum tuam : Andante ヘ長調
  3. Jubilate Deo monis terra : Allegro ハ長調
〔編成〕 S, Choir, 2 fl, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, va, bs, og
〔作曲〕 1768年10月か11月? ウィーン

オッフェルトリウム「Benedictus sit Deus」の訳として「主は賛美されよかし」もあるが、ここでは分かりやすい表現「主はほめたたえられよ」をとった。 また「ほめたたえる」に漢字「頌めたたえる」を使っている場合もある。 この作品の成立は謎に包まれたままであり、以下のように、様々な説がある。 最初はイタリア旅行中のモテット作品として K.117(1770年2月)に位置づけられていたが、のちに「ドミニクス・ミサ K.66」とともに初演されたものと思われ、ケッヘル第6版で K.66a(1769年)とされていた。 そのミサ曲とは、よく知られているように、ザルツブルクでのモーツァルト家の家主ハーゲナウアー(Lorenz Hagenauer, 1712-92)の4男カイェタン(Franz Cajetan Rupert Hagenauer, 1746-1811)が新任司祭ドミニクスとなって初めて行なうミサのために書いたことからその渾名がついているものである。 そのときのミサの様子について、家主ハーゲナウアーが

1769年10月15日
今日は新修道司祭ドミニクスの初ミサであった。 ミサの音楽は14才の少年ヴォルフガング・モーツァルト氏が作曲した。 誰もが素晴らしい音楽という意見であった。 ミサは2時間以上かかった。 寄進者の数が非常に多かったので当然であった。
[ドイッチュ&アイブル] p.82
と書き残したことに関連させて、アインシュタインは
モーツァルトはミサ曲だけでなく、このミサのための奉献誦、すなわち交誦「父なる神は讚えられよ」(Benedictus sit Deus)(K.117)をも作曲した。 だからこの神父が自分の日記に「ミサは2時間以上もつづいた・・・」と記したところで、驚くには当たらないのである。 もしも教会へ参詣した民衆(大勢の奉献者たちの群)がいささかでも音楽を解したならば、多分この奉献誦は彼らを大いに驚嘆させたであろう。
[アインシュタイン] p.438
と説明していた。 曲は3つの部分から成り、第1部「Benedictus sit Deus Pater ほむべきかな父なる神」と第3部「Jubilate 喜び呼ばわれ」は合唱曲、第2部「Introibo dominum tuam あなたの家に行き」はソプラノのアリア(詩篇第66第13節)である。 この構成について、アインシュタインは
曲はイタリア風のシンフォニアにはなはだ似ていて、アレグロ─ヘ長調のアンダンテ─アレグロの形を取っているが、モーツァルトは典礼的な朗誦調を見かけの第二主題として用いることによって、《フィナーレ》を独創的であると同時に教会的に構成している。 ただし彼はこの主題に、しごく世俗的なざわめくようなヴァイオリンの装飾音型の伴奏をつけている。
同書 pp.438-439
と書いている。 その第2部、アンデンテによるソプラノ・アリア
Introibo dominum tuam, Domine,
in holocaustis
reddam tibi vota mea,
quae distinxerunt labia mea.
   私はあなたの家に入ります、主よ。
捧げものをもって。
あなたへの誓いを果たします、
私が口にした誓いを。
が新任司祭ドミニクスが行う初めてのミサにふさわしいと考えられたのであった。

しかし、この曲の成立について位置づけはさらに変り、その後、「孤児院ミサ K.139 (47a)」とともに奉献された曲と見られ、K.47b(1768年10月か11月、ウィーンで作曲)と置かれた。 これもよく知られていることであるが、ウィーンでマリア・テレジア女帝の第九皇女マリア・ヨゼファとナポリ王フェルディナントとの婚礼があることから、前年9月、レオポルトは息子と娘を伴ってウィーンに出ていたが、天然痘で皇女は死去し、さらにヴォルフガングとナンネルも感染し、帰郷が延び延びになって一年以上も過ぎていた頃、1768年12月7日ウィーンのレンヴェーク(現在の第3区)の孤児院の新教会献堂式のために、パールハーマー氏の依頼によりヴォルフガングは「荘厳ミサ」を作曲する機会があった。 それがハ短調ミサ曲 K.139 とみなされていることから、「孤児院ミサ」という渾名で呼ばれている。 このミサ曲の独自性については、ド・ニが

わずか一年半あまりで、彼の音楽的個性はその若さにもかかわらず、疑う余地のない天分の輝きを発して突然に開花した。 それどころではない。 12歳の少年による最初のミサ曲は大作であり、何を手本にしたかは一目瞭然とはいえ、この作曲家の独自の個性を初めて示した曲である。 この『孤児院ミサ』のなかで初めて、年若きモーツァルトは宗教音楽の分野における美の理想を、余すところなく披瀝したといえる。
[ド・ニ] p.17
と絶賛しているが、奉献歌「主はほめたたえられよ」(K.117)はこのミサ曲の成立と関係があるとされたのである。 そのうえで、ド・ニはこの奉献歌についても以下のように高く評価している。
オフェルトリウム『神は誉めたたえられよ』は、献堂式に直接用いられる祈祷文によっており、二本のフルートに支えられたソプラノのアリアと、それをはさむ二つの合唱からなっており、とくに二つ目の合唱曲は素晴らしい。 「彼の名において詩編をかたれ」という歌詞のところでは、四つの声部が次々と教会旋法の第八旋法によるカンティアシオン、あるいはプサルモディア風に歌う。 父親レオポルトのモテト「改心した者が座し」や、以前は K93 としてモーツァルトの作品と思われていたロイターのモテトと同じやり方である。 ところが彼らの作品では詩編唱と歌詞との関係は希薄で、無目的に第五旋法を選んでいるにすぎないが、モーツァルトの『神は誉めたたえられよ』では、ラウダと呼ばれる奉納の賛歌のレスポンソリウム「ザケオ、はやく降りよ」を想い起こさせるために、意識的に第八旋法を選んでいるのである。 またこのオフェルトリウムには『孤児院ミサ』のベネディクトゥスにおける器楽のモチーフが見られるが、これはプファンハウザーのいうように、この曲が献堂式のミサのためだったことを証明するだけでなく、少年作曲家がいかに音楽の統一性に配慮したかということの表われでもあろう。
同書 pp.20-21
ところで、「孤児院ミサ K.139」と「オッフェルトリウム K.117」が歌われたかもしれないという献堂式について、当時の「ウィーン日誌」(1768年12月10日)は次のように伝えている。
7日水曜日、皇帝にして国王陛下はレンヴェークの孤児院へ赴かれた。 そこに新たに建てられた教会の最初の堅信礼及び礼拝に列席されるためである。 歌ミサの際の孤児院聖歌隊の音楽は全てザルツブルクの領主に仕える楽長レーオポルト・モーツァルト氏の12才の息子、その特異な才能で有名なヴォルフガング・モーツァルトがこの祝祭のために新たに作曲したものであり、大喝采と賞賛を博した。 彼自身による上演、正に正確な指揮ぶりであった。 その他にモテットも歌われた。
[ドイッチュ&アイブル] pp.75-76
このとき演奏されたのは であることが、ウィーン滞在中のレオポルトからザルツブルクの家主ハーゲナウアーに宛てた手紙(1768年11月12日)によって知られている。
聖なるマリアの無原罪の御孕りの祝日には、パルハーマー師の孤児院の新しい教会の献納がおこなわれます。 ヴォルフガングはこの祝日のために、荘厳ミサ、奉献誦、それにこの孤児院の少年のために一曲のトランペット協奏曲を作曲しまして、師に敬意を表しました。 たぶんヴォルフガングがみずから指揮することになるでしょう。 なにごとにも理由があるものです。
[書簡全集 I] p.373
また、レオポルトは息子ヴォルフガングが7歳から12歳までに作曲した作品のリストをまとめ、初期のモーツァルト作品目録を作っているが、そのリストの最後に以上の作品を掲載している。 しかも「現物を示すことができる」とも書いているが、残念ながら「現物」を特定できる手がかりはまったく残されなかった。 このような状況において、それらの3曲のうち、K.47a はハ短調ミサ K.139 であろうとされ、K.47b はこの奉献歌「主はほめたたえられよ K.117」と考えられたのである。 そして K.47c は散逸したとされている。 しかし、K.47a=K.139 また K.47b=K.117 とする確証はないため、K.47b も散逸したとする考えもある。 そうだとすると、この奉献歌「主はほめたたえられよ K.117」の成立はやはり謎のままとなり、K.47b なのか、または K.66a なのか、それともまったく別の位置付けになるのかは不明である。 ザスロー編による「モーツァルト全作品事典」(1990年)では「K.47b=K.117」説を完全に否定し、ケッヘル第6版の推定 K.117=K.66a (1769年、ザルツブルクで作曲)に戻している。 とにかく、この曲の自筆譜に日付がないことと、オッフェルトリウムまたはモテットと書かれ、作曲の動機となる確たる証拠が見当たらないことから、成立については不明である。
なお、ド・ニは K.117 と「精霊来たりたまえ K.47」の親近性、すなわち、同じ調性であること、作曲のスタイルがきわめて近いこと、伴奏楽器の冒頭部が同じであることを指摘している。

〔演奏〕
CD [PHILIPS 422 752-2] t=8'37
シェレンベルガーエルンスト (S), ライプツィヒ放送合唱団, ケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響管弦楽団
1990年5月
CD [PHILIPS 422 752-2] t=8'37
※上と同じ
CD [TELDEC WPCS-4459] t=7'27
ボニー (S), アルノルト・シェーンベルク合唱団, アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
1990年12月

〔動画〕

〔参考文献〕

 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog
 
2012/09/16
Mozart con grazia