Mozart con grazia > 交響曲 >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18

75
19
76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25
82
26
83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

交響曲 第29番 イ長調 K.201 (186a)

  1. Allegro moderato イ長調 2/2 ソナタ形式
  2. Andante ニ長調 2/4 ソナタ形式
  3. Menuetto イ長調 3/4 複合三部形式
  4. Allegro con spirito イ長調 6/8 ソナタ形式
〔編成〕 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1774年4月6日 ザルツブルク
1774年4月




123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930

3回目のイタリア旅行からザルツブルクに帰って間もなく作られた第22番から第30番までの9つの交響曲の自筆譜は父の手でまとめられ合本とされた。 そのいわゆる「レオポルト合本」と呼ばれる交響曲集の第8番。 作曲された日付順では第7番。 その中で、1773年冬からの三部作「第28番ハ長調 K.200」、「第25番ト短調 K.183」、「第29番イ長調 K.201」は1788年の三大交響曲(第39番変ホ長調 K.543、第40番ト短調 K.550、第41番ハ長調「ジュピター」K.551)を予兆するものだとよく言われる。 オカールは全交響曲中でこれらを最も素晴らしいものと言い、特にこのイ長調交響曲 K.201 を最高に評価している。

私としては、モーツァルトの全交響曲のうちでも、その後の彼が円熟期に成し遂げた技術的進歩がいかなるものであるにせよ、好みの点からいって1773年のこの三部作が最も素晴らしいとためらわずにいいたい。
新鮮さ、素直さ、ほとばしる旋律、優雅さ、といったすべてのものが若々しい力の爆発のなかで輝いている。 モーツァルトがイタリアで得た教訓を何一つ忘れてはいないことが感じられる。 歌うような美しさが、ここにはうっとりするほど存分に繰り広げられているからだ。
私は「交響曲イ長調」を最も高く評価するが、それはのちの偉大なピアノ協奏曲にしか見られない凝縮したポエジーのゆえである。
[オカール] pp.42-43
また、アインシュタインも次のように絶賛している。
弦楽器、オーボエ、ホルンというきわめてつつましい編成のために書かれたイ長調シンフォニーについては、弦楽器による開始部がトゥッティで反復される様子を観察すれば十分である。 これは、室内楽の精緻さによる、単に装飾的なものからのシンフォニー救出の必然を把握する、新しい感情である。 楽器がその性格を変える。 ヴァイオリンはより精神的になり、管楽器はいっさいの騒がしいものを避け、装飾はいっさいの因習的なものを避けている。 弦楽四重奏曲の一楽章のように精緻に形成されているアンダンテでは、二対の管楽器がふえているだけである。 アレグロ・コン・スピリートのフィナーレは、モーツァルトがかつて書いた最も豊かで劇的な展開部を持っている。 われわれはすでに「イタリア風シンフォニア」から、なんと無限に遠くへだたってしまったことか! イタリアでは、誰がこのような作品を生みだしたろう!
[アインシュタイン] pp.309-310
モーツァルト自身もこれらの作品の出来栄えには満足していたと思われる。 8年後の1782年4月10日の父への手紙で「スヴィーテン男爵のところへ毎日曜12時に行っている」ことを知らせていて、そこではおもにバッハやヘンデルの作品を研究していたが、音楽通の男爵に聴いてもらうためにモーツァルトは自分の自信作を演奏していた。 1783年1月4日の手紙では、父に をできるだけ早く送ってほしいと頼んでいる。 これらの交響曲を聴いてスヴィーテン男爵(当時40歳)は具体的にどんな感想を述べたのかわからないが、モーツァルトのパトロンとして最期まで支え続けていたことを考えると、賞賛したであろうと思われる。
なお、上記の曲を特定するための手段として「曲名」ではなく「曲首5小節」を書いている。 モーツァルトの記憶の中では旋律が明確に残っていて、必要ならば再びそれを楽譜に書き出すことができたのだろう。 彼は音楽会のためにたくさんの作品とその写譜を必要としていたので、これらの交響曲以外にもいろいろ送ってもらえるよう伝えている。 さて、手紙に書かれた数小節を見ただけで父レオポルトはすぐに曲を特定できたと思うが、すぐ息子に送らなかったので、その後も(1月8日、1月22日、2月5日)催促を繰り返していた。 そして2月15日付けの手紙で送ってくれたことに感謝している。 それから間もなくしないうちに自分の演奏会で上演した。
そのために彼は、それらの自筆譜の上に書いてあった完成の年月日を丁寧に消している。 そのためウィーンの写譜師たちには、それらが10年も前の作品であることが判らなかった。
[ランドン] p.89
こうやってモーツァルトは蔵に眠っていた自分の古い作品を陽の当たる場にどんどん持ち出したが、それらは音楽会の題目を増やすための「枯れ木も山の賑わい」のようなものではない。 この交響曲(K.201)については、ザスローは
この交響曲がまことに卓越した作品であることは、つとに認められてきた。 この作品とK.183とは、メジャー・オーケストラのレパートリーとなった、モーツァルトの最古の交響曲なのである。
[全作品事典] p.244
と言い、「抒情的な要素と抽象的・器楽的要素との間で釣り合いをとることに見事に成功している」と賞賛している。 モーツァルトが少年期のザルツブルク時代に書いた作品は10年近くたったのちでも、しかもウィーンという都会においても、十分に通用する価値をもっていたのである。 ザルツブルクの「大司教の宮廷におけるモーツァルトの音楽生活は、いくつもの点で現代とはほど遠いものがある」とロビンズ・ランドンは言う。
彼の天才のもたらした果実、たとえばヴァイオリン協奏曲群やセレナータ・ノットゥルノK239、シンフォニーK200、K201などは、大司教やひとつかみの宮臣たち、招待客や土地の貴族たちなどによって鑑賞されただけであった。 それらは、夏の庭で演奏された折などに塀越しにでも聞こえてこない限り、ザルツブルクの一般の人たちには聞くチャンスはなかった。 ましてザルツブルク以外の土地では、それらは闇の中に眠ったままで19世紀の大半を過ごすことになる。
[ランドン] p.92
幼少期からヨーロッパ中の名高い音楽家たちからその類まれな実力を認められていたモーツァルトが、たくさんの自信作を閉鎖的な地方都市から救い出し、ウィーンの聴衆に提供した意義は非常に大きい。 こうして、モーツァルトにとって「シンフォニーというジャンルでの最初の偉大な成果」(ロビンズ・ランドン)であるこの交響曲(K.201)は初めて世に送り出された。

〔演奏〕
CD [WING WCD 46] t=20'45
ワルター指揮 Bruno Walter (cond), ニューヨーク・フィル The Philharmonic-Symphony Orchestra of New York
1956年3月、ニューヨーク・カーネギー・ホール
CD [WPCS-22033] t=
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団
1962年
CD [ポリドール F35L 50313] t=30'48
ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 The Academy of Ancient Music
1979年、ロンドン
CD [Deutsche Grammophon 429 803-2] t=24'26
ベーム指揮ウィーンフィル
1981年?
CD [ANF S.W. LCB-102] t=22'19
カラヤン指揮 Herbert von Karajan (cond), ベルリン・フィル Berlin Philharmonic Orchestra
1982年、ザルツブルク
CD [PMG CD 160 113] t=30'00
Alexander von Petamic (cond), Camerata Labacensis
演奏年不明(1988年以前)
CD [TELARC PHCT-1248] t=28'25
マッケラス指揮 Sir Charles Mackerras (cond), プラハ室内管弦楽団 Prague Chamber Orchestra
1987年7月、プラハ、芸術家の家
CD [WPCS-6155/6] t=23'24
コープマン指揮 Ton Koopman (cond), アムステルダム・バロック管弦楽団 The Amsterdam Baroque Orchestra
1987年8月、アムステルダム
CD [Membran 203300] t=19'50
Alessandro Arigoni (cond), Orchestra Filarmonica Italiana, Torino
2004年

〔動画〕

〔参考文献〕

 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

2017/10/01
Mozart con grazia