| Mozart con grazia > ミサ曲 > 第13番 変ロ長調 |
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ミサ曲 第13番 変ロ長調 K.275 (272b)
■作曲 1777年9月23日以前 ザルツブルク |
モーツァルトのミサ曲は大小20数えることができる。 そのほとんどはザルツブルクの大聖堂での典礼のために書かれた。 この曲はその中で大司教の好みに合わせて簡略化された最後のミサ・ブレヴィス(短いミサ)。 ゲルハルト・ワルタースキルヒェンは
殊玉の作品である。 ここでは型を破った着想が見られ、たとえば、キリエがソプラノ・ソロで導入される点とか、グローリアのコーラスの「音の絵」のような性格などが例として挙げられるが、中でもアーグヌス・デイの結びが6小節のテーマである点は、古典期の作曲法のルールに違反していた。 この作曲を以てモーツァルトは、伝統や慣習から離れて、ミサの音楽づくりの上に新しい道を開くのである。と高く評価している。 しかし、世俗的な民謡調であることなどを理由に、19世紀には「モーツァルトは不信心者だ」とか「無神論者だ」などと言われたこともあった。(石井 宏訳)CD[BMG BVCD-3008-09]
曲の成立ははっきりしないが、3年に及ぶマンハイム・パリへの大旅行の無事を祈願するために作曲した奉納ミサであるとみなされていて、関連して奉献歌 K.277 (272a)と昇階誦 K.273 がある。 モーツァルトが母アンナ・マリアとともにザルツブルクをたつのが9月23日であるので、したがってその以前に作曲されたと推測されている。 また、12月21日ザルツブルクで演奏されたことが父レオポルトの手紙で残っている。 それを根拠に、アインシュタインは
それがおそらく初演であろう。 わたしの考えでは、それはモーツァルトが大旅行の幸福な結果を祈願して作曲した一つの祈誓ミサ曲である。 それは彼の出発後にはじめて、聖務日課において歌われたのである。とほぼ断定しているが、モーツァルトが出発する前に演奏されなかったとする証拠はなく、作曲の動機が上記のことであったなら、むしろ演奏されていたと考えても不自然ではない。浅井真男訳(白水社)p.460
■演奏
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CD[BMG BVCD-3008-09] t=15'34 アウクスブルク大聖堂少年合唱団室内合唱隊, カムラー指揮コレギウム・アウレウム合奏団 1989年6月、Wallfahrtskirche Violau |
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CD[WPCS-4094] t=18'08 アーノンクール指揮、アルノルト・シェーンベルク合唱団 1992年12月、ウィーン |
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