Mozart con grazia > ピアノのための小品 > ピアノと管弦楽のためのロンド
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K.386 ピアノと管弦楽のためのロンド イ長調

Concerto Rondo for piano in A

編成 p, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, vc, bs
作曲 1782年10月19日 ウィーン

1782年10月

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Allegretto イ長調、4分の2拍子。ロンド形式。 コンチェルト・ロンド。 自筆譜の表紙に上記日付があるが、作曲の目的は不明である。 時期としては、モーツァルトが父の反対を押しきってコンスタンツェと結婚し(8月4日)、ウィーンで独立し、自分を売り込むための作品を量産し始めていた頃である。 そのようなときに作られたこの曲には、次のような数奇な運命があることが知られている。

モーツァルトの死後、コンスタンツェニッセンと共同で「モーツァルト作品全集」を出版しようとして、ブライトコップ・ウント・ヘルテル社と交渉したがうまくゆかなかった。 出版社側はモーツァルトの姉ナンネルと協力して「伝記」の編集を進めようとしていたところであり、コンスタンツェに対しては「自分の利益のことしか考えず、夫の死後の名誉も考えない真に恩知らずの悪者である」という共通の認識にたっていたのである。

彼女はブライトコップ・ウント・ヘルテル社から拒絶をうけた後、他の音楽出版社、フランクフルト・アム・マイン近くのオッフェンバッハの音楽出版者、ヨハン・アントン・アンドレ二世との間で新たな交渉を始めてしまった。 この方の交渉は順調に進み、1799年11月8日には、コンスタンツェとアンドレ二世はニッセンを立ち会い人として契約にサインしている。 その結果、アンドレ二世は総計260曲のモーツァルトの作品と、詳細な作品目録を入れた15の小包を受け取っている。 値段は3150グルデンで、1800年の2月に半額を、その6週間後に残りの半額を支払う契約だった。
[ショークヴィスト] p.95
このときコンスタンツェはブライトコップ・ウント・ヘルテル社にも同じ値段で売却する話をもちかけている。 そのあたりのなりゆきについては、ショークヴィストの著書に詳しいが、結果として、オッフェンバッハの音楽出版者アンドレ(Johann Anton André)が買い取った。 その膨大な数の作品の中にこの曲も含まれていたが、そのとき最終ページが欠けていた。 そのためアンドレは出版せず、売却し、イギリスの作曲家ウィリアム・スターンデール・ベネット(1816-1875)の所有となった。 その後、彼の師匠であるシプリアーニ・ポッター(1792-1871)が最後の部分を補筆し、ピアノ独奏用に編曲し、ロンドンで1838年に出版したが、その後、不運が待っていた。 この曲の自筆譜がばらばらにされ、散逸してしまったのである。 行方不明になった自筆譜の全体が回復される過程について、ザスローは以下のように解説している。
アメリカの音楽学者アルフレート・アインシュタインが K.386 について調べようとしたとき、彼が所在を突き止めることができた自筆譜は136〜171小節を含むわずか2枚しかなかった。 これをモデルとして、アインシュタインはポッターの編曲を自由に管弦楽化した編曲版を1936年に出版した。
[全作品事典] p.168
この最初の試みから、次の大きな段階に進むことができた。 ザスローは続ける。
1956年までにイギリスの音楽学者アレック・ハイアット・キングはさらにイギリスで6枚の自筆譜を発見した。 これに加えてさらに1枚と断片が見つかり(1〜78、118〜132、136〜171小節の部分)、オーストリアのピアニスト、パウル・バドゥーラ=スコダと指揮者サー・チャールズ・マッケラスが1963年に新しい楽譜を出版した。
同上
こうして復元された形が現在では演奏されているのであるが、1980年に劇的な発見があった。 イギリスの音楽学者アラン・タイソンが大英図書館所蔵のジュスマイヤー手稿譜の中から、欠けていた最終ページを偶然発見したのである。

この作品の位置づけについて、新全集はピアノ協奏曲の巻に含め、ロンド楽章としている。 アインシュタインによれば、ピアノ協奏曲イ長調(第12番 K.414)の終楽章として作られたが、「第1楽章の二、三の旋律の書法を繰り返しているだけ」の理由で放棄したものという。 ただし、異論もあり、放棄したのではなく、別の独立したロンド作品に仕立てるつもりだったという説もある。

コンチェルト・ロンド

独奏ピアノと管弦楽のためのロンドのことであるが、演奏会用の独立した曲ではなく、ピアノ協奏曲の一つの楽章である。 モーツァルトは3楽章から成る協奏曲のフィナーレにロンドをおいているので、未完あるいは紛失したピアノ協奏曲の断片として残ったか、または既にある協奏曲のロンド楽章の代替えということになる。 そして、この種の曲は2つ(K.382とK.386)あるという考え方である。

演奏
CD[PHILIPS PHCP-10171〜77] t=7'56
ハスキル (p), パウムガルトナー指揮ウィーン・フィル
1954年
CD[PHILIPS PHCP-9598] t=7'56
ハスキル (p), パウムガルトナー指揮ウィーン・フィル
※上と同じ
CD[ポリドール F32L-20321] t=8'07
アシュケナージ (p), ケルテス指揮ロンドン交響楽団
1966年、ロンドン
※下と同じ。
CD[LONDON POCL-9430] t=8'07
アシュケナージ (p), ケルテス指揮ロンドン交響楽団
1966年、ロンドン
※上と同じ。バドゥラ・スコダとチャールズ・マッケラスによる復元版。
CD[TELDEC WPCS-10098] t=7'52
カール・エンゲル (p), ハーガー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
1978年頃、ザルツブルク・モーツァルテウム
CD[エラート R25E-1009] t=8'32
ピリス (p), グシュルバウア指揮リスボン・グルベンキアン室内管弦楽団
1973年
※カデンツァはジョージ・セル、曲の復元はバドゥラ・スコダとチャールズ・マッケラスによる。
CD[AVCL-25662] t=8'05
イエネ・ヤンドー (p), アンタル指揮コンツェントゥス・ハンガリクス
1990年10月、ブダペスト

引用文献


 

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2009/09/27
Mozart con grazia