Mozart con grazia > ピアノのための小品 >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19
76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25
82
26

83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

ピアノ組曲 序奏とフーガ K.399 (385i)

  1. フランス風序曲 ハ長調 4/4
  2. フーガ Allegro イ短調
  3. アルマンド Andante ハ短調 4/4 二部形式
  4. クーラント Allegretto 変ホ長調 3/4
  5. サラバンド ト短調 3/2 (未完、5小節半)
〔作曲〕 1882年 ウィーン

van Swieten
Gottfried van Swieten
この頃、よく知られているように、モーツァルトはスヴィーテン男爵(当時48歳)との出会いにより、ある種深刻な危機に直面していた。 それはヘンデルヨハン・セバスティアン・バッハの作品を知ったことから受けたショックであり、一般にモーツァルトの「バロック体験」といわれる。

モーツァルトにとってそれは、真の啓示というべきものだった。 霊感が技術に匹敵するといった書法は、もちろん、それまでの彼が行なってきた「ギャラント」な音楽と全面的にちがうのはもとより、「学問的」な音楽についてそれまで考ええたどんな音楽ともちがっていた。 マルティーニ師によって教えられた対位法は、具体的な声楽の探求に向いたものだった。 これに反し、ヨーハン・ゼバスティアンの対位法は彼に対して思ってもみなかった地平を開いてみせてくれるものだったのである。
[オカール] p.80
男爵はバロック音楽に傾倒し、特にヘンデルの作品の蒐集は膨大なものだったという。 モーツァルトがザルツブルクの父へ送った次の手紙もよく知られている。
ヴィーン、1782年4月10日
ぼくは毎日曜日の12時に、スヴィーテン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。
僕は今、バッハのフーガの蒐集をしています。 ゼバスティアンのだけではなくエマーヌエルフリーデマン・バッハのも。 それからヘンデルのも。
[手紙(下)] p.54
この手紙の中で、モーツァルトはレオポルトに対しても「ヘンデルの6つのフーガ」を送ってくださいと求めている。 彼の研究は徹底したものだった。 ヘンデルのものだけでなく、郷里のエーベルリンのものも父に送ってくれるよう依頼していたが、すぐそれは研究に値しないとわかり、送らなくてもいいと伝えている。 モーツァルトの死後、遺品の中に、彼自身がコピーしたヘンデルの名高いフーガ作品のすべてが含まれていた([書簡全集 V] p.226)という。 さらにまた、モーツァルトは1761年に出版された「ヘンデルの伝記」までも持っていて、これは1790年3月か4月に手放して、プフベルクに送っている。

しかしアインシュタインは、1783年あるいは1784年以後には、モーツァルトはもはや単にフーガ制作のためのフーガは一つも作曲していないと言う。

モーツァルトは対位法、《技術》を、できるかぎり隠そうと試みる。 それは技術的操作として現れてはいけないのである。 このことは彼の天性にもとづくのである。 彼はかつてマンハイムのヴァイオリニスト、フレンツルの演奏について書いた(1777年11月23日)のであった、 「・・・彼はむずかしいものを演奏する。 しかし聴き手はそれがむずかしいことに気づかないで、自分もすぐ真似ができるように思う。 これこそ真実の技術である・・・」
[アインシュタイン] p.220
「ギャラント」な音楽と「学問的」な音楽の間で、その危機を超越したのは、「ハイドンとモーツァルトだけであって、二人はそれぞれ自分のやり方でそれを遂行したのである」(アインシュタイン)という。 このようにスヴィーテン男爵を介して、モーツァルトは「バロック体験」からヘンデルに急接近してゆく。 そして男爵の依頼に応じて、『アキスとガラティア』の編曲(K.566)や『メサイア』の編曲(K.572)など4曲、ヘンデルの作品の編曲と演奏にかかわるのである。

クラヴィーアのために作られたこの曲は、ヘンデルの1722年の組曲集から影響を受けているといわれ、「ヘンデルの手法による組曲」とも呼ばれている。 ただし、全楽章が同じ調性でないことがバッハやヘンデルの方法に背いて変則的であるといわれている。 また、この曲で扱われているフーガについて、アインシュタインは次のように言っている。

この非常にややこしいイ短調のフーガの最も注目すべき点は、ハ長調の前奏曲からハ短調のアルマンドへの移行句の役割をしていることである。
[アインシュタイン] p.218
それにしても、なんと美しい橋渡しだろう。 その前に置かれた序曲はモーツァルト自身が名付けたものだが、
むしろドイツの「イントラーダ」(16~17世紀における祭りや行進曲風の短い和声的な序曲)のようなものである。
[ド・ニ] p.135
という。 そしてド・ニは、序曲とそれにすぐ続くフーガの2曲のあとに
アルマンド、クーラント、それにサラバンドの途中までが続いているが、これらはとくにオルガン的というわけではなく、むしろピアノによって理想的な演奏ができる。
同書
と言っている。 確かに往年の名女流ピアニスト、ジョイス(Eileen Joyce, 1908-1991)によるアルマンドとクーラントの演奏を耳にすると、ド・ニの胸の奥に響いたであろうモーツァルトの歌が聞こえてくる。

〔演奏〕
CD [EMI TOCE-11558] t=8'46
ギーゼキング (p)
1953年8月、ロンドン
CD [クラウン Novalis CRCB-3013] t=4'45
ハーゼルベック (og)
1989年9月、オーストリア、ブリクセン大聖堂
※最後の8小節は演奏者の補完
CD [ポリドール POCL-1559] t=4'52
トロッター (og)
1993年11月、オランダ、Hervormde Kerk

〔動画〕

〔参考文献〕


 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

2016/12/18
Mozart con grazia