Mozart con grazia > ピアノ協奏曲 > 第18番 変ロ長調
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K.456 ピアノ協奏曲 第18番 変ロ長調

Concerto for piano in B flat [No.18]
  1. Allegro vivace 変ロ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Andante un poco sostenuto ト短調 2/4 変奏形式
  3. Allegro vivace 変ロ長調 6/8 ロンド形式

編成 p, fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 vn, va, bs
作曲 1784年9月30日 ウィーン

1784年9月


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自作目録第8番にあたるこの曲は、盲目のピアニスト、マリア・テレージア・フォン・パラディス(当時25才)のために作曲された。 この年、パラディス嬢はパリ、ロンドン、ブリュッセル、ベルリンへ演奏旅行を企てていたので、そのためにモーツァルトに作曲の注文をしたのであった。 彼女は3歳のとき視力を失ったが、ピアノとオルガンの奏者として、また歌手として活躍し、1774年からマリア・テレジア女帝により年金を支給されていた。 ピアニストとしてはレオポルト・コゼルフ(モーツァルトの宿敵)の弟子であり、そんな相手に作曲したことについてアインシュタインは

モーツァルトが宿敵の女弟子のために、しかも彼女がちょうど1784年秋、演奏旅行に出かけていったパリでの上演のために、新しいコンチェルトを1曲書いたということは、彼の無頓着、あるいは無関心を物語る事実である。 パリで演奏するにはコーツェルーフの60曲のコンチェルトではたしかに不十分だった。
[アインシュタイン] p.412
と評している。 第2楽章は主題と5つの変奏で構成されているが、2年後のオペラ「フィガロ」第4幕バルバリーナのカヴァティーナ(ヘ短調)を予見させるフランス風の主題(ト短調)と変奏があるのが特徴的である。

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翌1785年2月11日から4月25日まで、父がウィーンに滞在していたが、その2月13日、ブルク劇場での演奏会で息子がこの曲を弾くのを聴く機会があった。 そのときの様子をレオポルトはザルツブルクにいる娘ナンネルに手紙を書いている。

ウィーン、1785年2月16日
日曜日の晩には、劇場でイタリアの歌手ラスキの音楽会がありました。 彼女はもうイタリアに旅立ちます。 彼女はアリアを2曲歌いましたが、チェロ協奏曲が1曲あり、テノールとバスがそれぞれアリアを1曲、それにおまえの弟はパリ用にとパラディスのために作った見事な協奏曲を一つ弾きました。 私はたいそうお美しいヴュルテンベルク公爵令嬢から後ろに二つほどロージュを隔てていただけで、楽器の交替はすべてものすごくよく聞き分けられるという満足が得られたので、この満足感で目に涙が溢れたものでした。
おまえの弟が退場すると、皇帝は手にお持ちの帽子で挨拶を送ってくださり、「ブラヴォー、モーツァルト」とお叫びになられました。 あの子がクラヴィーアを弾くために出てくると、もちろんみんなが拍手喝采を送ってくれました。
[書簡全集 VI] p.38

さらに1786年8月には、モーツァルトはこの曲を含む5曲のピアノ協奏曲(K.451、K.452、K.456、K.459、K.488)の筆写譜をフォン・フュルステンベルク侯に渡した。 自筆譜はマルブルクWestdeutsche Bibliothekにある。 第1と第3楽章の自筆カデンツァがあるはずで、現在その所在不明だという。

演奏
CD[TELDEC WPCS-10102] t=30'07
エンゲル (p), ハーガー指揮ザルツブルク・モーツァルテウム
1974年
CD[CBS 38CD51] t=29'03
ペライア (p) 指揮イギリス室内管弦楽団
1981年頃

引用文献


 

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2009/08/23
Mozart con grazia