| Mozart con grazia > ピアノ協奏曲 > 第25番ハ長調 |
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K.503 ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調Concerto for piano in C [No.25]
■編成 p, fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, va, bs |
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ハ長調コンチェルト(K.503)は、壮麗なしめくくりである。 これはもう一つのハ長調コンチェルト(K.467)とも、また先行するハ短調コンチェルト(K.491)とも関係を持っている。 つまり、これはまえのハ長調コンチェルトを力強いものに高めた曲であり、ハ短調コンチェルトの絶望的な情熱のあとでの必然的な自己確認である。 勝利はかちとられた。 勝利は、第一楽章の勝ち誇る行進曲の主題のなかに、最も単純な、最も抗しがたい形で象徴されている。 そしてこの主題は、注意すべきことに、短調においてはじめて現われ、《フォルテ》なしですますことができるのである。そして、中間楽章については、[アインシュタイン] pp.423-424
大規模な歌の豊富さと細部の活気という点で、おそらくハ長調シンフォニー(K.551)の緩徐楽章だけと比較しうるものである。と賞賛をつづけている。 また、オカールは次のように絶賛している。同書 p.424
この作品は「ジュピター協奏曲」という渾名をつけられたことがあったが、ジャンルの締めくくりといった状況、調性、力強さなどの類似性によってその名に値する。 432小節と7つの主題をもつ第一楽章は、モーツァルトの全オーケストラ作品のうちでも最も豊かなものだろう。 飛躍などいささかもない。 なぜならモーツァルトは力強さに近づくのではなく、直接力強さのなかに身を置いてしまっているのだから。 もっといえば、ハ長調のもつ堂々とした安定性が厳かに姿を現わす華麗で静かな最初の短長格(イアンブ)がはじまるや、力強さの高みから身を降ろすようだ。 ピアノがその中心的な地位をこれほど的確に占めたことはかつてない。ただし、この曲をもってモーツァルトはこのジャンルを締めくくったというのは結果論であることをは付け加えておかなければならないであろう。 以下、この曲が誕生した当時の背景について少し考えてみたい。 まずこの頃、彼はすでに経済的に苦しい状況に追い込まれていたことはよく知られていることである。[オカール] p.123
1788年6月、プフベルクへ予約金というのは、3曲の弦楽五重奏曲(K.406、K.515、K.516)のことであり、4月2日の「ヴィーン新聞」に次のような広告を出していたものである。
あなたにはまだ8ドゥカーテンの借りがあります。 今のところそれをお返しすることもできませんのに、その上、あなたを信頼するあまり、ほんの来週まで(その時はカジノでの私の発表会が始まりますので)100フローリーンのお助けを、お願いいたすわけでございます。 それまでに必ず予約金が手に入ることは間違いなく、衷心から感謝して136フローリーンをお返しいたすことが、きわめて容易なことと存じます。[手紙(下)] pp.134-135
新しい五重奏曲3曲、ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロのためのもので私が浄書校正しました。 予約注文を受け付けます。 予約価は4ドゥカーテン、ヴィーンの現価18フローリン。 予約券はホーエン・マルクトのザリンツの店のプフベルク氏の許で毎日入手できます。 作品も同所で7月1日から入手できます。しかし注文は非常に少なく、「出版を1789年1月まで延期する」という広告を出さざるを得なかった。 ソロモンの言葉を借りると、このような事態は「モーツァルトにとっては恥ずかしいというか屈辱的なこと」であった。[ドイッチュ&アイブル] p.215
おそらくは、夏の間にとりあえず何とかせねばなるまいと思ったのであろう。 モーツァルトは恐ろしいほどのスピードで曲を書き始める。しかしウィーンの聴衆を自分の方に振り向かせることはできなかった。 予約演奏会が実際に行われたのかどうかすらわからない。 彼の経済状況は落ち込む一方で、たびたびプフベルクに借金の申し込みをせざるを得なかった。
・・・ 途中略 ・・・
そして彼はトラットナーホフとシュピーゲルガッセの新しいフィリップ・オットーのカジノとを会場にして、夏のコンサートのシリーズを計画する。[ソロモン] p.652
オットー・E・ドイッチュによれば、1788年の夏以降は、モーツァルトはウィーンでは自分の音楽による公開コンサートの予告もしていないし、もちろん実行もしていない。 したがって、新しいシンフォニーやピアノ協奏曲を作る計画も持ち合わせなかった。 唯一の例外はピアノ協奏曲変ロ長調K.595で、1791年の1月に完成しているが、これは自分の音楽会ではなく、クラリネット奏者のヨーゼフ・ベーアの音楽会で初演された。したがって、もし自分ための演奏会がこの曲(K.503)以降にも行われる機会があったら、もっと多くの作品が生れ、そして「この曲をもってモーツァルトはこのジャンルを締めくくった」という結論にはならなかったであろう。[ソロモン] p.653
1789年5月12日、モーツァルトはライプツィヒのゲヴァントハウスで音楽会を催したが、そのとき2つの「ピアノフォルテのための協奏曲」を演奏している。 その一つがこの曲であると思われている。 また、よく知られているように、モーツァルトの死後、1798年にコンスタンツェはアンドレ社から自費出版した。 ただしそれは成功しなかったという。 自筆譜はチュービンゲン大学図書館に、自筆スケッチはマルブルクWestdeutsche Bibl.にある。
■演奏
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CD[TOCE-9188] t=31'04 フィッシャー (p) 指揮ウィーン・フィル 1946年8月 Live |
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CD[CLASSIC CC-1047] t=34'35 グルダ (p), アバド指揮ウィーン・フィル 1955年 |
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CD[エフ・アイ・シー ANC-1011B] (3) t=8'43 グルダ (p), コリンズ指揮ロンドン新交響楽団 1955年 |
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CD[EMI CDM 7-63620-2] t=31'28 バレンボイム (p), クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア・オーケストラ 1968年 第1楽章カデンツァはバレンボイム |
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CD[LONDON POCL-9435] t=33'05 ラローチャ (p), ショルティ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 1977年12月、ロンドン |
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CD[POCG-7127] t=39'03 ルドルフ・ゼルキン (p), アバド指揮ロンドン交響楽団 1983年3月、ロンドン 第1楽章カデンツァはゼルキン |
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CD[COCO-78049] t=31'18 ミグダル (fp), ビョルリン指揮カペラ・コロニエンシス 1985年 |
■引用文献
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