Mozart con grazia > 教会典礼音楽
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レジナ・チェリ (天の女王) 変ロ長調 K.127

  1. Regina coeli : Allegro moderato 変ロ長調
  2. Quia quem meruisti portare : Andante ヘ長調
  3. Alleluia : Allegro 変ロ長調
〔編成〕 S, SATB, 2 ob(fl), 2 hr, 2 vn, va, bs, og
〔作曲〕 1772年5月 ザルツブルク
1772年5月




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モーツァルト父子の2回目のイタリア旅行(1771年8月から12月まで)の目的はミラノ『アルバのアスカーニョ』(K.111)の初演であったが、父レオポルトはもう一つの大きな目的(野望)を胸に大切に隠し持っていた。 それは息子をミラノのフェルディナント大公の宮廷音楽家に採用してもらうことであり、やがて楽長の座に昇りつめる頃には、モーツァルト一家はザルツブルクという田舎町から音楽の本場イタリアの大都会に飛び出して行くことまで考えていただろう。 しかしフェルディナント大公から返事がもらえず、ミラノ滞在を引き伸ばすことになる。

1771年11月30日(ミラノのレオポルトからザルツブルクの妻へ)
今でもまだミラノにいることになるなどとは思ってもみませんでした。 でもまだ引き留められる事情があるのだし、それに、ザルツブルクでは、今はどっちみち降臨節の時期で、宮廷では奏楽はないし、だから、12月の最初の2週間のうちにザルツブルクに着けばそれでいいのです。
[書簡全集 II] p.320
結局なんの手応えも得られないまま父子は帰郷することになったが、ザルツブルクに到着した12月15日の翌日、寛大であった大司教ジギスムント・フォン・シュラッテンバッハが死去した。 そして後任のコロレド伯が翌1772年3月に着任することになる。

モーツァルトは新しい大司教のために様々な種類の楽曲を休む暇なく書いているが、3月から5月までの間に次の宗教曲を作った。

そのうちこの「レジナ・チェリ」はモーツァルトの第2作となる。 たぶん復活祭前の聖土曜から三位一体祭の前日までの間に演奏されたと思われている。 自筆譜は1979年南ドイツのワッサーブルクで見つかった。 ザルツブルク宮廷のソプラノ歌手でミハエル・ハイドン夫人のマリア・マグダレナ(Maria Magdalena Lipp Haydn, 1745-1827)のために書かれた。 彼女は当時のザルツブルク宮廷歌手のなかで最も広い音域をもっていたという。 ソプラノ独唱が華麗に入念に作られ、壮麗なコンチェルタントになっているので、声楽部を組み込んだ3楽章から成るイタリア風シンフォニアとも評される。 モーツァルトのレジナ・チェリの最初の2曲(ハ長調 K.108 と変ロ長調 K.127)について、アインシュタインは
いずれも大編成で、ハ長調の方にはトランペットまで加えられ、他の変ロ長調の曲には少なくともオーボエまたはフルート、およびホルンが使われている。 ひとくちに言えば、いずれも声楽部(合唱あるいは独唱、または独唱と合唱の融合)を組み込まれた三楽章の《イタリア風》シンフォニアにほかならない。 『天の元后喜び給え』は、復活祭前の土曜日から聖霊降臨祭中の土曜日までのあいだに歌われる四つの聖母交誦聖歌の一曲(第三曲)であった。 それゆえ、両作品は壮麗でコンチェルタントになっている。
[アインシュタイン] p.443
と共通点をあげたうえ、「細部においては第一作の方が精緻に仕上げられているにもかかわらず、第二作の方がいっそう壮麗でコンチェルタントである」と言っている。 ただしモーツァルトは同じものを2つと作らない。
前作と同じような形で作曲したが、オーケストラにはトランペットやティンパニを使用せず、二部に分かれるヴィオラを含む弦楽器と、2本ずつのオーボエとホルンだけである(第2楽章ではオーボエはフルートに替わる)。
(中略)
前作に比べると、管弦楽の使用に万全を期しており、また合唱のために真正のポリフォニーを書こうとする意気込みが明白に見て取れる。
[ド・ニ] p.64

1778年4月


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余談であるが、6年後の1778年4月にはザルツブルク宮廷のカストラート歌手チェッカレリ(Francesco Ceccarelli, 1752-1814)が歌ったことがレオポルトの手紙で知られている。 このときモーツァルトは母とともにパリ滞在中で、4月には以下の曲を書いていた。

レオポルトの手紙は
1778年4月12日(ザルツブルクの父からパリの妻と息子へ)
明日の郵便ででもおまえたち二人の無事息災の知らせが聞けるのを期待しながら、私たちが今日は亡くなったアードルガッサーさんの、明日はハイドンの、そして火曜日にはヴォルフガングの連禱(リタナイ)をやるのを、今日前もって書いておきます。 チェッカレッリさんが最後の連禱でソロを全部と、黄金のサルヴェの折に『レジナ・チェリ』を歌いますが、これはヴォルフガングがハイドン夫人のために作ったものです。 大きな音楽会がない晩はいつも、彼は私たちのところにやって来ますが、いつでもアリアを1曲とモテットを1曲持ってきます。
[書簡全集 IV] p.34
と書き始められ、いつものようにザルツブルクでの様々な動静を詳細に伝えている。 そこには何事も見逃さない鋭い観察眼とそれを克明に記録しないではいられないレオポルトの才能と性格があり、そしてそれらは息子にも引き継がれていった。 お陰で貴重な歴史資料が残されたことになる。

〔演奏〕
CD [Teldec WPCS-22041] t=14'50
ギーベル Agnes Giebel (S), ウィーン・アカデミー室内合唱団 Wiener Akademie Kammerchor, タヘツィ Herbert Tachezi (og), ネボア Josef Nebois (og), ロンネフェルト指揮 Peter Ronnefeld (cond), ウィーン交響楽団 Wiener Symphoniker
1966年頃
CD [PHILIPS 422 520-2] t=15'34
ナーヴェ Isabella Nawe (S), ライプツィヒ放送合唱団 Rundfunkchor Leipzig, ケーゲル指揮 Herbert Kegel (cond), ライプツィヒ放送交響管弦楽団 Rundfunk Sinfonie Orchester Leipzig
1979〜81年
CD [UCCP-4078] t=15'43
※上と同じ
CD [POCL-2537] t=14'41
カークビー Emma Kirkby (S), ウェストミンスター・カテドラル少年聖歌隊 Westminster Cathedral Boys' Choir, ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music
1983年11月、ロンドン、Kingsway Hall
CD [Teldec WPCS 4566] t=15'16
ボニー Barbara Bonney (S), アルノルト・シェーンベルク合唱団 Arnold Schoenberg Chor, アーノンクール指揮 Nikolaus Harnoncourt (cond), ウィーン・コンツェルトゥス・ムジクス Concentus musicus Wien
1990年12月、Casino Zögernitz, Vienna

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2012/12/02
Mozart con grazia