Mozart con grazia > アリア >
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劇唱「どうしてあなたを忘れられようか」とロンド「恐れないで、愛する人よ」 K.505

〔編成〕 S, 2 cl, 2 fg, 2 hr, p, 2 vn, 2 va, vc, bs
〔作曲〕 1786年12月27日 ウィーン
1786年12月




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作詞者不明。 テキストはオペラ『イドメネオ』から。 このオペラが1786年3月13日にウィーンでアマチュアの貴族たちによって、アウエルスベルク(Johann Adam von Auersperg, 1721-95)侯爵邸で演じられることになった際に、プリーニ男爵のために第2幕第10曲の差替えとして作曲した劇唱とロンド「もういいの、私は全てを聞いた。恐れないで、愛する人よ」(K.490)をさらに簡略化して、ソプラノとピアノの2重奏にしたものであり、ナンシー・ストレース嬢に送った恋文といわれる。 彼の自作目録には「ストレース嬢と私のために Für Madmoiselle Storace und mich」と記された。 1787年2月23日ケルントナートーア劇場で、イギリスに帰る彼女の告別演奏会が催されたとき、彼女が歌い、モーツァルトがオーケストラと協奏するピアノを弾いたと言われている。 あきらめ切れない愛の思いを歌うこの曲は、二人の間の現実でもあったかもしれない。

自筆楽譜には、「ストラーチェ夫人のために、その下僕にして友なるW・A・モーツァルト、ヴィーンにて、1786年12月26日作曲」と記入してある。 それは、歌唱声部とピアノとのデュエットに伴奏のついた楽曲であって、音響による愛の告白であり、実現されえない関係の、理想的領域における浄化である。 幸いなことに、コンスタンツェはそういうものを理解する耳を持っていなかった。
[アインシュタイン] p.110
さらにアインシュタインは続けている。
声とピアノの対話が行なわれ、それがあまりに親密に、もつれあっているので、一小節ごとに特別な意図が感じられるほどであり、また対話があまりにめんめんとつづくので、曲はアリアというよりもむしろ一つのコンチェルト楽章になっている。
[同] p.503
そもそもモーツァルトはこのときの演奏会に先立つこと2ケ月以上も前に(自筆譜では1786年12月26日、自作目録記載は27日)なぜ曲を仕上げて準備していたのだろうか? 直前ぎりぎりに仕上げて、インクの乾かぬまま(自分のパート譜はまだ頭の中にあるまま)演奏に出るのがモーツァルトの流儀ではなかったか? 作曲された直後の翌1787年1月8日、モーツァルトは妻コンスタンツェを伴ってプラハに旅立っている。 当地で上演中の『フィガロ』が大人気だったのである。 最大級の歓迎を受け、1000グルデンもの大金を手に入れることができたが、彼は2月12日にウィーンに帰ってきた。 そして2月23日にナンシーの告別演奏会が開かれたのである。 彼女はモーツァルトの旅行前に曲を書いておくことを求めていたのだろうか。
1783年ナンシーのブルク劇場との契約は年俸1000フローリンだったが、やがて彼女は4500フローリンもの高額なギャラを要求し、そのうえ「そのほかに住居と豪華な馬車、引退俳優のための慈善興業を行なう権利、余業でよその舞台に立つ権利が確約された」(ブレッチャッハー)という。 彼女には帰国のためにできるだけ金を貯めこんでおく必要があっただろうし、一方のモーツァルトにとって演奏会の開催は貴重な収入源だった。 彼は単純に恋愛感情だけで曲を作るようなタイプでなく、父親ゆずりのソロバンをしっかりはじいていただろう。
1785年もモーツァルトのコンサートの人気は依然として根強かった。 2月から3月にかけて、彼は計6回のコンサートをメールグルーベで行い、その間、3月10日にはブルク劇場で大予約演奏会を開き、ハ長調のピアノ協奏曲K.467を中心に据えた。 そのほか、アウエルンハンマーの予約演奏会をはじめ、プリマ・ドンナのフランツィスカ・ルブランとその夫のオーボエ奏者ルートヴィヒ・ルブランの会、イギリスのソプラノ、ナンシー・ストレースの会、歌手のエリーザベト・ディストラーの会(2月15日の彼女の会で彼はニ短調の協奏曲K.466を演奏している)などに出演している。
<中略>
しかし翌年の1786年の四旬節のシーズンをもって、彼の公開コンサートの輝かしい勝利のシリーズも終りに近づいた。 当時ほとんどのコンサートは降臨節と四旬節の間に行われていたが、この年のモーツァルトのブルク劇場の予約演奏会は4月7日で、完成したばかりのハ短調の協奏曲K.491がそれを飾っている。 しかし、1783年以来初めて、他の予約演奏会が一回も行われないことになった。
[ソロモン] pp.469-470
そのような「彼の演奏会人気の急激な下降」の1786年に、人気絶頂のナンシー・ストレースと共演する演奏会を催すことはモーツァルトにとって自身の名誉にもかかわる大事な仕事だったろう。 ハンガリー出身の詩人フランツ・カズィンツィ(Franz Kazinczy)は次のような回想を残しているという。
ヴィーン、1786年5月
美しい歌手ストラーチェに眼も耳も魂もうっとりとなった。 モーツァルトがフォルテピアノを弾きながら管弦楽を指揮した。 しかしその音楽がかもし出す喜びはいかなる官能ともかけ離れたものであり、口では表現できない。 そういう喜びを表現するのに相応しい言葉が一体どこにあろうか。
[ドイッチュ&アイブル] p.195
よく知られているようにナンシーは『フィガロ』の初演(1786年5月1日)のときスザンナ役を演じていたが、ウィーンを去るこのときまで、フィガロ役だったベヌッチ(当時42才)と熱烈な恋愛関係にあったといわれている。 ベヌッチとの関係が終ったとき、彼女は「飛び切り高額の報酬を受ける立場になったというのに、劇場に辞職を願い出た」(ブレッチャッハー)という。 どのような背景があったにせよ、ソプラノとピアノによるこの二重協奏曲は「コンサート・アリアの中での古今の最高傑作」とも言われる。

なお、その告別演奏会でナンシーは4000フローリンにもなる収入を得たという。 それに憤慨してフランツ・クラッターは次のような警告文を書いた。

しかし芸術家の才能とは一体何なのか。 芸術と生意気さの両方に同じ程の才能を持ち、下手な演奏会で2、3曲なげやりに歌うような高慢な外国人のストラーチェを争って求め、モーツァルトのような優れた自国の芸術家が良い演奏会を開いても、それとは比べようもないような収入しか上げられないような、そんな祖国に君は何を期待するのか。
[ドイッチュ&アイブル] p.212
余談であるが、ナンシーの演奏会から3年後の1789年5月12日、ライプツィヒ訪問中のモーツァルトはドゥーシェク夫人と共演する演奏会を催し、夫人はこの曲を歌ったといわれている。 彼女もまたモーツァルトにとって忘れられない女性だった。

〔歌詞〕
Ch'io mi scordi di te?
Che a lui mi doni
Puoi consigliarmi?
E puoi voler che in vita...
...
私があなたを忘れる?
あなたは私にすすめられるの
彼のものになれ、
しかもなお生きていろ、なんて?
(以下略)
Non temer, amato bene,
Per te sempre il cor sarà.
Più non reggo a tante pene,
L'alma mia mancando va.
...
恐れることはないわ、いとしい人、
私の心はいつまでもあなたのものでしょう。
こんな苦痛にもう私は耐えられません。
私の心臓が止まってしまいます。
(以下略)
西野茂雄訳 CD[PHILIPS 28CD-3235]

〔演奏〕
CD [SONY SMK 58984] t=11'01
Jennie Tourel (S), ホルショフスキ Mieczyslaw Horszowski (p), カザルス指揮 Pablo Casals (cond), Perpignan Festival Orchestra
1951年7月、Perpignan
CD [EMI TOCE-6598] t=11'04
シュワルツコップ Elisabeth Schwarzkopf (S), ブレンデル Alfred Brendel (p), セル指揮 Gerge Szell (cond), ロンドン交響楽団 London Symphony Orchestra
1968年9月、ロンドン、キングズウェイ・ホール
CD [EMI TOCE-7588] t=11'04
シュワルツコップ
※同上
CD [EMI 7-63702-2] t=11'04
シュワルツコップ
※同上
CD [PHILIPS 28CD-3235] t=9'50
キリ・テ・カナワ Kiri Te Kanawa (S), 内田光子 (p), テイト指揮 Jeffrey Tate (cond), イギリス室内管弦楽団 English Chamber Orchestra
1987年6月、ロンドン
CD [POCL-2665] t=9'34
ベルガンサ (S), プリチャード指揮ロンドンSO
CD [Brilliant Classics 93408/2] t=10'07
Miranda van Kralingen (S), European Sinfonietta, Ed Spanjaard (cond)
2002年8月、オランダ、ハーグ、Nieuwe Kerk

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2016/02/28
Mozart con grazia