| Mozart con grazia > オペラ > 魔笛 |
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K.620 ジングシュピール「魔笛」序曲と2幕21曲German opera "Die Zauberflöte" in 2 acts, overture and 21 numbers. Libretto by Emanuel Schikaneder
■編成 fl*2(picc), ob*2, cl*2, basset-hr*2, fg*2, hr*2, tp*2, tb*3, timp, vn*2, va*2, vc, cb, グロッケンシュピール |
序曲 Adagio - Allegro 変ホ長調
第1幕
第2幕
[ 登場人物 ] ... 1791年9月30日、ウィーンのヴィーデン劇場での初演のときの歌手。指揮はモーツァルト自身。
フリーメーソンの仲間で、劇団を主宰するシカネーダーの注文を受けて作られた。5月頃から作曲に取り組み、9月28日に完成。30日にシカネーダーの劇場で初演された。 自筆譜は12段からなる横長の五線譜で、序曲31頁、第1幕190頁、第2幕210頁と膨大なものだが、パミーナとパパゲーノの二重唱などほんの数頁にわたって書き直しがあるだけで、 あとはインクの染みをたらしながら一気に書き上げてあるという。
この「2幕のドイツ・オペラ」と記された劇にはメーソンの儀式や試練、あるいは象徴などか取り入れられている。序曲はアダージョの序奏とアレグロの主要部からなり、
冒頭の力強い3つの和音はオペラの中でも現れ、メーソンの信条を表しているという。会員は皆兄弟で、平等であり、互いに助け合うことを基本とするフリーメーソンに対する宮廷の弾圧は、
ヨーゼフ2世の後、レオポルト2世配下の秘密警察によりますます厳しくなり、モーツァルトの死後、このオペラは上演禁止になるだろうと噂されていた。
しかし予想に反して上演がふえ、1年後の11月3日には100回の上演があったという。メーソンとの関係について、ジャック・シャイエの詳細な研究がある。
モーツァルトは1784年12月14日にウィーンのフリーメーソン結社「善行」(1783年2月2日に結成された小分団)に入ったが、その後もっと規模の大きな分団「真の融和」の方に出ていた。 その分団の親方イグナーツ・フォン・ボルンのもとで、モーツァルトは1785年1月7日に「職人の位階」に昇格した。 フォン・ボルンは「魔笛」のザラストロのモデルといわれている。
1790年8月末、シカネーダーはベネディクト・シャックにメルヘン・オペラ(童話歌劇)「賢者の石 Stein der Weisen」あるいは「魅惑の島」の作曲を依頼した。
それにモーツァルトも手伝い、他にヨハン・バプティスト・ヘンネベルク、フランツ・クサヴァー・ゲルルも加わり、シカネーダーも含めて5人の合作となった。
モーツァルトは、喜劇的二重唱「いざ、いとしき乙女よ、共に行かん」K.592a (625)を作曲したらしい。
そのオペラは9月11日に初演された。
その楽譜をアメリカの音楽学者D.J.バックが1996年、ハンブルク図書館で発見した。
マーティン・パールマンは「魔笛」との関連に注目し、ボストン・バロックを指揮し、この「賢者の石」を1998年、世界初録音した。
そのCD [TELARC PHCT-5190/1] にはパールマンによる「魔笛」との比較解説が含まれている。
ベンダ(Georg Anton Benda, 1722-95)のメロドラマはモーツァルトに大きな影響を与えたことが知られているが、確かに「ナクソス島のアリアドネ」や「ピグマリオン」を聴く(CD [NAXOS 8.553345])と、ところどころ聞き覚えのある旋律が現れる。
語りの間に切れ切れに挿入されたその音楽は劇的な場面を効果的に演出し、物語の進行に役立っている。
モーツァルトもメロドラマを一つ作っている(K.315e)が残念ながら現存しない。もし残っていれば、ベンダの作品と「魔笛」をたして2で割ったようなものだったろうか?
モーツァルトは1778年11月12日(マンハイム)の手紙で父に次のように書いている。
この種のドラマをいつも書きたいと望んでいました。ここでそういう作品が二度も上演されるのを観て大満足でした。実際にこんなに驚いたことはかつてありません。 そこでは歌われるのではなくて、朗唱されるのです。そして音楽はレチタティーヴォのようなものです。それがすばらしい効果をあげます。 僕が観たのはベンダの「メデーア」でしたが、彼はもうひとつ「ナクソス島のアリアドネ」も作曲しました。両方とも本当にすばらしいものです。 この2作はとても気に入っているので、いつも持ち歩いています。オペアのなかでも、大部分のレチタティーヴォはこのように扱われるべきだと思います。ベンダのメロドラマに現れる切れ切れの旋律は、モーツァルトの(オペラだけでなく)多くの作品に動機付けしたのではないかと思える。 現に「この旋律はモーツァルトのあの作品の主題に使われている」という比較研究がなされてあるのだろうか?
いつ、どのようにしてシカネーダーから作曲依頼を受けたかは不明であるが、作曲し始めていたと思われる1791年5月から完成する9月までのおもな出来事を並べてみよう。
5月4日、ミュラー氏のために「小さな自動オルガンのためのアンダンテ(ヘ長調)K.616」を作曲。 そのような作曲はモーツァルトにとって必ずしもやりがいのある仕事ではなかったが、貧困にあえいでいた最晩年の彼には貴重な収入源となった。
5月9日、ウィーンの聖シュテファン教会の楽長レオポルト・ホフマンが病気になったため、モーツァルトは副楽長に任命される。 ただし無給なので、経済的には何の意味もなかった。(4月末に楽長補佐の地位を請願していたが、そのとき自ら「無給で楽長を補佐したい」と言っていた。)
5月23日、盲目のグラス・ハーモニカの名演奏家マリアンネ・キルヒゲスナー嬢のために「グラスハーモニカ五重奏曲アダージョとロンド(ハ短調)K.617」を作曲。
5月末に、バーデンのシュトル氏に「妻のために貸し部屋を探して欲しい」と手紙を送っている。 そして、6月4日、身重のコンスタンツェは保養のためバーデンに行き、モーツァルトは金の工面に悩まされながらも作曲を続けていた。
6月5日、バーデンにいる妻に手紙を送り、使用人を解雇したこと、自分はライトゲープ(ホルン奏者のロイトゲープのこと)の家の庭にある小部屋に泊めてもらうことを知らせている。
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| 愛妻コンスタンツェのいないウィーンでモーツァルトは、シカネーダーや弟子ジュスマイヤーなどの家で食事をさせてもらいながら仕事を続けていた。
孤独なモーツァルトは、愛用のクラヴィコードと小鳥と、この小屋で生活していた。
その小屋は1897年にザルツブルクへ移され、「魔笛の家」と名付けられた。 |
6月6日、ド・シュヴィンゲンシュー夫人の御供をして、ヴィーデン劇場で「山地から来た馬鹿な庭師、またの名、二人のアントーン」の第5部を観た。
6月11日、キルヒゲスナー嬢(1772〜1808)のコンサートが13日にあるはずと思っていたが、それは10日に終っていた。
聴くことができないことを残念がる手紙を妻に書き、その中で「魔笛」第11曲の二重唱「死と絶望がその人の報いだった」を引用した。
さらに「退屈しのぎにオペラのアリアを一つ作った」とも書いているが、どの曲かは不明。
晩にはレオポルトシュタット劇場で、ジングシュピール「ファゴット吹きのカスパル、またの名、魔法のツィター」を観た。
ヨアヒム・ペリネ作詞、ヴェンツェル・ミュラー作曲のこの作品は「魔笛」と同じくヴィーラント作「ジンニステン一名妖精物語萃」に題材を求めたもので、「魔笛」に影響を与えたとも言われている。
ただし、モーツァルトの感想は「大騒ぎの話題作だが、中身はまったくの空虚」というもの。
6月13日頃、妻のいるバーデンに向かった。
6月17日、バーデンの合唱指揮者アントン・シュトルの求めに応じて、御聖体の祝日のミサのために「アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618」を作曲。 妻が世話になったお礼として書かれた。
6月25日、プフベルクに借金依頼の手紙を書き、25フローリン送金してもらう。この頃、モーツァルトはウィーンに戻っていた。
7月2日、バーデンにいる妻へ手紙を送り、ジュスマイヤーに「魔笛」第1幕の導入部から終曲までの譜を送るよう求めた。オーケストレーションするために。
この頃、レーゲンスブルクの結社員F.H.ツィーゲンハーゲンの著作の付録にと依頼され、小カンタータ「無限の宇宙の創造者を崇敬する君らよ(ハ長調)K.619」を作曲。
依頼者はルソーの思想にも触発され、アルザス地方に若者の共同生活施設を建てた。その「自然の反集団」と呼ばれていた結社の集会でこれが歌われた。
7月26日、四男フランツ・クサヴァー誕生。彼は成人し、音楽家となり、後に「モーツァルト2世」を名乗る。
8月19日、ウィーンでキルヒゲスナー嬢の演奏会があり、そのために作られた「グラスハーモニカのためのアダージョ(ハ長調)K.356 (617a)」が初演された。
8月25日、モーツァルトは皇帝レオポルト2世のボヘミヤ王即位戴冠式を目指して、コンスタンツェとジュスマイヤーを伴い、プラハへ向かってウィーンを出発した。 これは3度目のそして最後のプラハ旅行だった。相次いで到着した皇帝皇妃には、サリエリが7人の宮廷楽士(20人に増えた)を連れて随伴した。
9月1日、レオポルト2世の戴冠式のためにプラハを訪れていたツィンツェンドルフ伯爵の日記によると、食卓音楽に編曲された「ドン・ジョヴァンニ」が演奏された。 サリエリに同行した楽士(オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2)が演奏したものとみられる。
9月2日、国立劇場で皇帝皇妃の臨席のもと、「ドン・ジョヴァンニ」が上演された。モーツァルトは指揮せず、満員の聴衆に交じり大満足だった。
9月3日、フランスで新憲法が公布。人権、法の前での平等などが保証された立憲君主制となった。この頃、プロイセンとオーストリアはフランス革命に干渉していた。そして翌年2月に対仏同盟を結び、戦争となるが、両国の連合軍はフランス軍に敗れる。
9月4日、戴冠式に先立つ式典「王冠への忠誠の誓い」が聖ヴィートゥス大聖堂で行われ、サリエリの指揮によりコジェルフ作「戴冠式ミサ」が演奏され、さらにモーツァルトの「主の御憐れみを K.222」も演奏されたらしい。 (ベートーヴェンの言葉によれば)浅ましいコジェルフは宮廷好みの音楽で1792年6月12日に(モーツァルトの2倍の俸給で)ウィーン宮廷作曲家になる。
9月6日、プラハ大司教による戴冠の儀式。サリエリは「戴冠式ミサ K.317」(または K.337)を指揮した。
その日の夜、皇帝皇妃の臨席のもとに、モーツァルトの指揮でオペラ・セリア「ティトの仁慈(序曲と2幕26曲)K.621」が初演された。
これは夏から秋にかけて(ウィーン、プラハ)、皇帝レオポルト2世のボヘミヤ王即位戴冠式のために作曲が続けられていたもの。
作曲の期間が短く、台本もあまり良くなく、さらに作曲者自身の体が弱っていたため、必ずしも霊感豊かな作品にはならなかったといわれているが、この種の真面目な内容にはモーツァルトはあまり乗り気でなかったのが本当の理由ではなかろうか。
劇の内容は、ローマ皇帝ティトゥスが先王の娘や信頼していた部下に裏切られながらも、罪を悔いたこれらの人達を許してやる。
オペラを見た皇妃は、この音楽は「ドイツ人の汚物」だと言ったという。
さらに、プラハでは「バセット・ホルン協奏曲(ト長調、断片)K.621b」も作曲しようとしたらしい。
9月20日、ウィーンに戻った。
ダ・ポンテは皇帝との関係が悪化し、(友人のイ・ソレールが「ペテルブルクに来ないか」と提案していたが)、ウィーンを去り、モーツァルトに「一緒にロンドンへ行かないか」と誘っていた。
9月28日、ジングシュピール「魔笛(序曲と2幕21曲)K.620」が完成。
自筆譜は12段からなる横長の五線譜で、序曲31頁、第1幕190頁、第2幕210頁と膨大なものだが、パミーナとパパゲーノの二重唱などほんの数頁にわたって書き直しがあるだけで、あとはインクの染みをたらしながら一気に書き上げてあるという。
9月30日、ウイーンで、完成したばかりの「魔笛」が初演された。モーツァルトがピアノを弾きながら指揮をし、ジュスマイヤーが譜めくりをした。
この初演は、あまり成功とは言えなかったが、10月2日に再演され、人気は次第に上昇した。
[ 参考文献 ]
| ザルツブルクにあるパパゲーノ像(左)とパパゲーナ像(右) | ![]() |
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[ 全曲演奏 ]
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LD[東芝EMI WV045-3508] t=130分 監督 : ベルイマン Ingmar Bergman / ザラストロ : コールド Ulrik Cold / タミーノ : コストリンガー Josef Kostlinger / パミーナ : ウルリラ Irma Urrila / パパゲーノ : ハーゲゴート Hakan Hagegard / パパゲーナ : エリクソン Elisabeth Eriksson / 夜の女王 : ノーディン Birgit Nordin / モノスタトス : ウルフンク Ragnar Ulfung エリクソン指揮スウェーデン放送SO、スウェーデン放送局製作 ; 1974年 |
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LD[PHILIPS PHLP-10032-3] t=160分 演出 : イェルヴェフェルト Goeran Jaervefelt / パミーナ : ビール Ann Christine Biel (S) / タミーノ : ダールベリ Stefan Dahlberg (T) / ザラストロ : ポルガール Laszlo Polgar (Bs) / 夜の女王 : フランドセン Birgit Louise Frandsen (S) / パパゲーノ : サムエルソン Mikael Samuelsson (Bs) / パパゲーナ : ラーション Birgitta Larsson (S) エストマン指揮ドロットニングホルム宮廷劇場O, Cho, ; 1989年 |
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CD[NAXOS 8.110828-9] t=156分 トスカニーニ指揮ウィーン・フィル, Cho. 演出 : グラーフ Herbert Graf / タミーノ : ロスウェンゲ Helge Roswaenge (T) / パパゲーノ : ファスベンダー Willi Domgraf-Fassbander (Br) / 夜の女王 : オスヴァート Julie Osvath (S) / パミーナ : ノヴォトナ Jarmila Novotna (S) / ザラストロ : キプニス Alexander Kipnis (Bs) / パパゲーナ : コマレク Dora Komarek (S) 1937年8月14日 ザルツブルク音楽祭 |
[ ハイライト ]
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CD[CLASSIC CC-1065] t=61'47 ショルティ指揮ウィーン・フィル |
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CD [ピジョン・グループ GX-239] t=71'42 クレンペラー指揮 Otto Klemperer (cond), フィルハーモニア管 Philharmonia Orchestra & Chorus タミーノ : ニコライ・ゲッダ (T) / パミーナ : グンドラ・ヤノヴィッツ (S) / パパゲーノ : ワルター・ベリー (Bs) / 夜の女王 : ルチア・ポップ (S) / ザラストロ : ゴットロープ・フリック (Bs) / 第1の侍女 : エリザベート・シュワルツコップ (S) / ※ 序曲と17曲、演奏年不明 |
[ 一部演奏 ]
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CD [BMGジャパン BVCC-9701] t=6'52(序曲) トスカニーニ指揮NBC交響楽団 1949 |
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CD [ドイツ・シャルプラッテン 22TC-280] (序曲) t=6'45 スウィトナー指揮 Otmar Suitner (cond), シュターツカペレ・ベルリン Staatskapelle Berlin 1976年1月、ベルリン・キリスト教会 |
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CD [SONY SRCR-8948] t=6'28(序曲) ヴァイル指揮ターフェルムジーク・バロック 1991 |
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CD [EMI TOCE-6819] 「おれは鳥刺し」 ワルター・ベリー (Bs) t=2'35 ; 1972年 / 「なんと美しい絵姿だろう」 ジークフリート・イェルサレム (T) t=4'00 ; 1981年 / 「復讐の心は地獄のように」 ルチア・ポップ (S) t=3'09 ; 1964年 / 「パパゲーナ、パパゲーナ!」 ワルター・ベリー (Bs) t=7'45 ; 1972年 ※ 歌詞対訳付き(西野茂雄訳) |
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CD [WPCS-21094] 「なんと美しい絵姿」 ブロホヴィッツ (T) t=4'04 / 「復讐の心は地獄のように」 グルベローヴァ (S) t=3'01 アーノンクール指揮チューリヒ歌劇場管 1987年 |
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CD [東芝 EMI TOCE-55200] 「地獄の復讐が私の心臓の中で」 t=2'57 / 「ああ私は感じる、愛のしあわせが」 t=3'47 / 「おお、恐れることはない、愛する若者よ」 t=4'38 ナタリー・デセイ (S), ラングレ指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団 2000年 |
[ 編曲 ]
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CD [Teldec WPCS-22045/6] t=14'17 シュミット編曲「序曲と4つのアリア 変ホ長調」 コンソルティウム・クラシクム Consortium Classicum 1976年4月28〜30日、ウィーン、Teldec Studio 編成 : 4クラリネット、2ホルン、2ファゴット、コントラバス |
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CD [Teldec WPCS-22043] 「恋人か女房が」 t=1'52 メーデル編曲 ; 「魔法の調べのなんという力強さ」 t=2'11 ペチュコ編曲 ; 「おいらは鳥刺し」 t=1'53 デルシュミット編曲 ; 「これはすばらしい音」 t=1'22 ペチュコ編曲 トビアス・ライザー・アンサンブル Ensemble Tobias Reiser 1983年頃 |
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CD [ビクター VDC-1333] t=18'54 Heidenreich編曲 モーリス・ブルグ木管アンサンブル, 1986 |
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CD [POCG-4131] t=18'50 1792〜1809年頃の編者不明の「2つのフルートまたは2つのヴァイオリンのための二重奏」 シュルツ (fl), シェレンベルガー (ob), 1987 |
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CD [harmonia mundi 3903008] t=12'18 Joseph Heidenreich 編曲(第1幕第2・5・8曲、第2幕終曲から引用) Kalman Berkes 指揮、ブダペスト管楽アンサンブル Budapest Wind Ensemble (2 ob, 2 cl, 2 hr, 2 fg) 1989年5月、Town Hall de Budapest ※ Joseph Heidenreichについてはよく知られていない。モーツァルトより20年先に生まれ、いくつかのオペラを器楽用に編曲し、1821年没。 |
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CD [クラウン CRCC-10] 第1幕第2・3・7・8曲、第2幕第10・15・16・17・20曲 ; 演奏者による編曲 山下和仁, 尚子 (g), ギター・デュオ 1991年8月22〜23日、埼玉県松伏町、田園ホール・エローラ |
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CD [SONY SRCR-9101] t=4'44 ゲネリス編曲 カツァリス (p), 1992 |
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CD [EMI 7243 5 55513 2 0] t=11'13 Rainer Schottstaedt 編曲 トリオ・ディ・クラローネ Trio di clarone : Sabine Meyer, Reiner Wehle, Wolfgang Meyer (3 basset-hr) 1994年9月7日, La Salle de Musique, La Chaux-de-Fonds |
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CD [TOCP 67726] (20) t=3'25 チルドレン・コア・オブ・ラジオ・ソフィア/45人のエジプトのミュージシャン, Milen Natchev指揮ブルガリア交響楽団 1997年 |
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CD [COCQ-83281-82] (17) t=3'31 有田正広 (fl), 有田千代子 (fp) 1998 |
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CD [CAMPANELIA Musica C 130076] (2) t=0'51, (6) t=0'46 ズュス Margit-Anna Suss (hp), シュトル Klaus Stoll (cb) 1998年 ※ 演奏者による編曲。 |
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CD [ERATO 3984-27318-2] t=26'04 1792年頃の編者不明の「2つのフルートまたは2つのヴァイオリンのための二重奏」を「4つのヴァイオリン」に演奏者が再編曲 Les Quatre Violons (vn), 1998年 |
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CD [ムジークレーベン DICM-23001] t=75'57 宇野功芳指揮, 宮下恵美 (p), 跡見学園女子大学合唱団 2000年12月、川口総合文化センター リリア音楽ホール ※ 跡見学園女子大学合唱団第34回定期演奏会ライブ |
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CD [BICL 62193] (2) t=2'39 近藤研二 (ウクレレ) 2006年 |
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CD [NAXOS 8.570027] t=43'52 Saxonian Wind Academy 2006年3月 ※ ハイデンライヒ編曲 |
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