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■編成 S, A, T, Bs, 4 Chor, 2 ob, 2 hr, 2 tp, 3 tb, timp, 2 vn, bs, og
■作曲 1779年3月27日 ザルツブルク
この曲が「戴冠式ミサ」なるタイトルで呼ばれているには、いくつかの説がある。 もちろんそれはモーツァルト自身がつけたものではない。 彼は有名な「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」や「音楽の冗談」などのわずかな曲にタイトルを付けているが、その他ほとんと多くは後世のものである。
最初は、この曲の成立に関係するものである。 すなわち、ザルツブルク近郊のマリア・プライン教会にある聖母マリアの奇蹟像の戴冠式のために作られたと考えられているからである。 カルル・ド・ニによれば
この名の起こりは、明らかにザルツブルク北郊にあるバロック様式のマリア・プライン教会のために作曲されたのではないかと思われるからである。 この土地からほど遠からぬバイエルン地方からこの教会にもって来られ、きわめて篤い信心の対象となっていた聖母マリアの画像が、1744年に厳かに戴冠された。 当時はそのような習慣があったのである。 1751年には、ローマ教皇がその冠を祝福した。 それ以来マリア・プラインの教会では毎年聖霊降臨後の第五日曜日に、そのことを記念して荘厳ミサが挙げられた。 この伝統によってモーツァルトは、1779年の聖霊降臨後の第五の主日のためのミサを作曲したのである。しかし大規模な楽器編成で書かれているなどの理由により、現在では、この曲はザルツブルク大聖堂で行われた復活祭の式典(1779年4月4日か5日)のために作曲されたとされている。 すると「戴冠式」と呼ばれる理由がなくなってしまうが、その後、何度かの戴冠式の機会があり、この曲が演奏された可能性がある。 まず、1790年フランクフルト・アム・マインでのレオポルト2世の戴冠式での演奏である。 その決定をしたのはサリエリだという。 そのときフルートとヴィオラが追加された。 さらに1791年8月26日、レオポルト2世のボヘミア王戴冠式に臨むために、サリエリは3曲のミサ(K.258, K.317, K.337)を携えてプラハを訪れた。 モーツァルトの死後も、1792年、フランツ2世の戴冠式(フランクフルト)でもサリエリはこのミサを演奏した可能性がある。 これだけあると、この曲が自然と「戴冠式」と呼ばれるようになってもおかしくない。 逆に言うと、そのような大舞台でモーツァルトのこのミサ曲が選ばれること自体にこの曲の偉大さがある。 カルル・ド・ニは相良憲昭訳「モーツァルトの宗教音楽」白水社 pp.92-93
このミサ曲の人気がなぜ高いかといえば、おそらく一見まったく相反する二つのものを、完全に融合させているからであろう。 すなわち参詣者ひきもきらない巡礼地の教会におけるミサにとって、欠かすことのできない親しみやすい性格と、モーツァルトがミサ曲の美の理想とも考えていたに違いない、十分に洗練されたきわめて知的ともいうべき形式の融合である。 しかもそれをミサ・ブレヴィスという規模のなかで、完全に実現しているのである。といい、またアインシュタインは上記同書 p.93
1777年の変ロ長調ミサ曲(K.275)とは全く異なった性格を持っている。 楽器編成もはるかに大規模で、荘重さもはるかに強調され、コントラストもはるかに強められている。 モーツァルトはミサ曲という大きな形式のシンフォニー的な統一の強調に関して、はるかに大胆になったようにみえる。と絶賛している。 さらに、この曲には有名な箇所があることでもよく知られている。 すなわち、アニュス・デイでのソプラノ独唱であり、そのソロが「フィガロ K.492」第3幕で伯爵夫人が歌うアリア「美しき日はいずこ Dove sono i bei momenti」に用いられていることである。
・・・(途中略)・・・
すでにこのミサ曲によって、われわれは教会音楽家としてのモーツァルトの創造が絶頂をきわめる作品に接近しているのである。 1783年のハ短調ミサ曲(K.427)の巨大なトルソーがそれである。浅井真男訳「その人間と作品」白水社 pp.462-463
自筆譜はベルリン国立図書館にあったが、第2次大戦後行方不明になっているという。 なお、教会の典礼のなかで器楽曲を合奏する習慣が17世紀後半から行われるようになり、18世紀前半からザルツブルクでも教会ソナタ(書簡ソナタ)が用いられていた。 モーツァルトはその種の曲を17曲書いているが、このミサ曲と関連のあるのは「第16番 K.329 (317a)」といわれる。
■演奏
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