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音楽の冗談 K.522

Ein musikalischer Spass (Musical joke)
  1. Allegro ヘ長調
  2. Menuetto : Maestoso ヘ長調 (トリオは変ロ長調)
  3. Adagio cantabile ハ長調
  4. Presto ヘ長調
〔編成〕 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1787年6月14日 ウィーン
1787年6月




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題名『音楽の冗談 (Ein musikalischer Spass)』はモーツァルト自身によるもので、上記の日付で自作目録に記載されたが、作曲の動機は不明。 タイソン(1985年)によれば第1楽章のパート譜は、1785年以前から書き始められ1786年末までには完成されていたという。 曲の形態はシンフォニーあるいはディヴェルティメントであるが、平行5度の使用など作曲上の決まりを知らない素人作曲家を皮肉ったものと思われる間違いだらけの音楽。 内容を簡単にたどると

第1楽章は景気のよい7小節の第1主題に始まるが、持て余したまま中途半端に第2主題へ入る。 展開部も切り詰められ、重要であるべき最初の楽章が最も短く終る。 第2楽章は典雅なはずのメヌエットがマエストーソ(荘重に)と指示されている。 ホルンは不協和音を奏で、第1ヴァイオリンが不自然なソロを歌う。 第3楽章は冒頭で第1ヴァイオリンが協奏曲風に気取って音を誤ったり、カデンツァで音程が怪しくなり、ピチカートでごまかすなどの怪演が続く。 この楽章が極端に長い。 第4楽章はロンド主題で快調に始まるが、フーガが4小節しか続けられず、誤奏が続出。 奏者たちは勝手な調子で弾きまくり、ホルンはヘ長調、ヴァイオリンはト長調とイ長調、 バスは変ロ長調で、大混乱のまま収拾もつかず終る。
というものであるが、このような曲を1785年という早い時期(モーツァルトがウィーンで旺盛な音楽活動を開始していた頃)に書こうとした動機は何なのか? まったく謎である。 田辺秀樹は敢えて言っている。
しかし、この完成の日付は特別な意味をもつ。 というのも、この「音楽の冗談」は、父親レオポルトの死後(同年5月28日没)最初に完成され、目録に記入された作品ということになるからである。 そうなると、このモーツァルトの冗談音楽は、父レオポルトへのある種の屈折した追悼の曲なのではないか、という推測が生まれてくる。 モーツァルトには、敬愛する作曲家の死に際して、その作曲家を追悼する意味で彼らの曲の一節を引用したと見られる作品がいくつかある。
[ラポルト] p.67
その一例として、ピアノ協奏曲第12番イ長調(K.414)とクリスティアン・バッハ、ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第42番イ長調(K.526)とアーベルの関係をあげている。 そしてこの冗談音楽については次の点を指摘している。
とりわけ注目されるのは、作曲家としてのレオポルトが「狩の交響曲」、「農民の婚礼」、「おもちゃの交響曲」といったユーモラスなジャンルを得意としていたということである。 モーツァルト父子がザルツブルクで1776年に共に楽しんだカーニヴァルの仮装舞踏会(まさにパロディーの世界!)では、レオポルト作曲の「農民の婚礼」が演奏されたことがわかっているが、「音楽の冗談」は曲全体のトーンがこの「農民の婚礼」と似ているだけでなく、その第一楽章には、父のこの曲の一節とほとんどそっくりな部分さえ現れるのである。
同書
この曲の着手と完成が自作目録に記載された日付通りならば、このような解釈は魅力的であり、従来はそのように言われることが多かったが、タイソンの研究のあとでは説得力を失いつつある。 さらにモーツァルトが書き入れた日付を疑う(書き間違えたとする)意見まである。 しかしそれでも上記の「父レオポルトへのある種の屈折した追悼の曲」という解釈はまったく捨てきれない。

さかのぼって1785年1月15日、モーツァルトは自宅(右の写真)にハイドンを招き、新作の弦楽四重奏曲3曲(ト長調 K.387、ニ短調 K.421、変ホ長調 K.428)を、また2月12日には続編の3曲(変ロ長調 K.458、イ長調 K.464、ハ長調 K.465)を演奏している。 ちょうど2月11日、ザルツブルクから父レオポルトがウィーンに到着したばかりであり、「必要な家財道具一切合切がついた立派な住居」に「身分の高い人たちがたくさん集まってくる」と娘ナンネルに伝えている。 レオポルトがウィーンに到着してからは娘宛の手紙から(ウィーンをはなれる4月中旬まで)かなり詳しい状況を知ることができるが、その前の1月15日の演奏についてはよくわからない。 ハイドンのほかに親しい友人たちが集まっていたというが、その中に医師のシュミット(Anton Schmith)が共演者としていて、のちに完成された『音楽の冗談』は彼へ贈られたものだという。
想像をたくましくすれば、1785年1月に大作曲家ハイドンを含めた音楽通の人たちと新作を共演するうちに、このような破格の合奏曲をふざけ半分で楽しみ、その冗談の試みが気に入ったシュミットにあとで完成させてあげるよと約束していたのかもしれない。 そして父レオポルトの死がきっかけとなり、思い出したように自作目録に記入したのかもしれない。 作曲の着手がずっと早かったとしても、この作品を自作目録に記入した日付に意味があり、「父への追悼の曲」という解釈が捨てきれない理由である。 あるいはまた、ソロモンのいうように遊び仲間のジャカン家のサークルのために書かれたのかもしれない。 作曲の動機や成立について不明であるので迂闊な推測は禁物であるが、作曲者自身がいうように「冗談」であることだけは確かである。

この風変わりな作品はその後「歌曲の王」の異名をもつ作曲家シューベルト(Franz Peter Schubert, 1797-1828)に、さらに彼の友人で作曲家のヒュッテンブレンナー(Anselm Hüttenbrenner, 1794-1868)の手に渡り、彼が『村の音楽家の六重奏曲 Dorfmusikantensextett』という呼称を与えたという。 しかしこの曲で笑われているのはヘタクソなのは演奏家ではなく作曲家の方であり、アーベルトは

そもそも、あのおなじみのホルンやヴァイオリンのヘンテコな音にしても、それらは主要な事柄ではなく、作品全体のユーモアに追加されたいわばオマケに過ぎないのである。 本来のパロディーの狙いは、作品を作曲しようとしている一人の架空の作曲家に向けられている。 彼が結果として自分の力量にふさわしい「演奏家達」を見いだしているということは、なるほど愉快な情景の最後の仕上げをするものとなってはいるが、本来の主人公はあくまでもその作曲家なのである。
[ラポルト] p.70
と述べ、どこがどう間違っているのか、その冗談がどれほど面白いのか、などについて詳しく(かつ面白く)解説している。 ただし「へぼ作曲を風刺するのはモーツァルトにとって尽きない楽しみであった」が、そのあとで彼は内面的なバランスを取らざるを得なくなる。
彼のようなきわめて「デリケートな耳」を持つ人間にとっては、あのような退化した音楽に対する修正が必要だった。
[アインシュタイン] p.288
そうして書かれたのが「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(K.525)であるとアインシュタインは言う。 一方は「冗談」であり、他方は「音符一つつけ加えることも不可能なほど簡潔」である。

作曲の目的のほかにも、楽器編成についても謎があり、成立の過程にかかわる事情が隠されているようである。

モーツァルトは第2ヴァイオリンのパートを2種類残していて、それらは互いに補い合っているのである。 第2ヴァイオリンを2本と解釈すると、ヴィオラも2本必要となる。
<中略>
タイソンの研究では第2ヴァイオリンの2つの稿は年代が異なっていて、決定稿はあとで書かれた第2稿であるらしい。
[事典] p.355
余談であるが、この曲とモーツァルトのほかの曲との関連で、野口秀夫は以下の非常に興味深い説を紹介している。 それによると、フランスの研究家オートグジェによるフリーメーソンとモーツァルトについての詳細な研究で、ピアノ協奏曲変ホ長調(K.449)中の落書きについて興味深いことが述べられているのである。 その落書きとは4つの記号C□○△の上下をカッコで囲んだもので、これらを次のように説明している。
C=ハ長調あるいはハ短調。各種の調を渡り歩いてそこに戻る。
□=ヘ長調。4つの角から4番目の調F(ヘ)を表す。フリーメーソンでは支部の記号。
○=変ロ長調。2番目の調B。ドイツ語Band(絆)の頭文字。メーソンの団結の絆。
△=変ホ長調。3つの頂点にフラットを配した調。メーソンではテコのシンボル。
これらの記号C□○△の上下を囲むカッコはもちろん調性の結合。 即ちフリーメーソンの音楽は変ホ〜ハ調を軸とした5度音程の循環の中に描かれるという。 このことから野口は
□=音楽の冗談 K.522 ヘ長調
△=交響曲第39番 K.543 変ホ長調
○= 〃 第40番 K.550 ト短調(変ロ長調の平行調)
C= 〃 第41番 K.551 ハ長調
と推理している。 即ち『音楽の冗談 K.522』で交響曲の秩序をぶち壊し、フリーメーソンの理念に沿って交響曲を新しく再構築しようと決心したのだという。
1784年フリーメイスン結社に加盟したモーツァルトは1785年には6曲ものフリーメイスン関連の曲を作曲したが、その後は1791年まで書いていないと言われてきた。 その間の空白を埋めるものとなろう。
[野口] p.356/CD[カメラータ・トウキョウ 32CM-174] 解説書
モーツァルトが「冗談」のつもりで書いた曲であるが、このようにさまざまな解釈がなされ、謎は実に深いものがある。

〔演奏〕
CD [WPCC-4124] t=22'48
ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団(Anton Kamper (vn), Karl Mair Titze (vn), Erich Weiss (va), Franz Kvarda (vc))
Hans Berger (hr), Joseph Koller (hr)
1953年頃
CD [ポリドール LONDON POCL-2111] t=18'05
ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団
1961年
CD [DENON 28CO-2145] t=21'05
スウィトナー指揮ドレスデン・シュターツカペレ
1965年3月、ドレスデン、ルカ教会
CD [POCG 50023] t=22'04
オルフェウス室内管弦楽団
1989年12月、New York

〔動画〕

 

K.Anh.108 (K6.522a) ロンド ヘ長調 (断片)

Rondo for 2 violins, viola, bass and 2 horns. (fragment) 〔編成〕 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1787年6月前半 ウィーン

断片 24小節。 『音楽の冗談』フィナーレ楽章の草稿とみられている。

研究者ギーグリングの指摘をまつまでもなく、17小節以降の三連譜楽句とそのあとの不自然なハ長調への転調は、『音楽の冗談』の音楽的な特徴と一致する。
[事典] p.356

 


〔参考文献〕

 

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2019/10/28
Mozart con grazia