| Mozart con grazia > アリア > 「願わくは問いたもうな」 |
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K.420 アリア「願わくは問いたもうな」Aria for tenor "Per pieta, non ricercate."
■編成 T, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 vn, 2 va, vc, bs |
イタリア(ローマ)で活躍していたオペラ作家アンフォッシ(Pasquale Anfossi, 1727-97)のオペラ「無分別な詮索好き Il curioso indiscreto」がウィーンで初公演される際、主役のリバヴェルデ伯爵役となるアダムベルガーのために書いたアリア(ロンドー)。 オペラの題名は「軽はずみな変り者」、「厚かましい物好き」または「余計なお世話」とも訳されている。 このとき、モーツァルトは出演するアロイジア(当時23歳)とアダムベルガー(当時43歳)のために挿入歌を3曲(K.418, K.419, K.420)を作曲した。 6月21日の父への手紙で次のように伝えている。
いま、とても短い手紙しか書けません。 やらなくてはならないことがあまりにも沢山あるので、どうしても必要なことだけお伝えしておきます。 というのは、新しいイタリア語オペラが上演され、そこに初めて二人のドイツ人の歌手が出演する予定です。 それはぼくの義理の姉ランゲ夫人とアーダムベルガーです。 それでぼくは、ランゲ夫人のために二つのアリア、そしてアーダムベルガーのためにロンドーを一曲書かなくてはなりません。オペラが1783年6月30日にブルク劇場で上演されたとき、モーツァルトの曲だけが受けたとう。 父へ(7月2日)次のように知らせている。[書簡全集V pp.380-381]
ランゲ夫人とアーダムベルガーが初出演するアンフォッシのオペラ『無分別な詮索好き』は、おとといの月曜日に初演されました。 ぼくの二つのアリアを除いて、まったく受けませんでした。 その二番目の曲は、華麗なアリアで、アンコールしなくてはなりませんでした。ここで、「二つのアリア」とはアロイジアのために書いた K.418 と K.419 である。 アダムベルガーのための K.420 は歌われなかった。 それには、上演前にサリエリの陰謀があったことを同じ手紙(7月2日)で知らせている。[書簡全集V p.383]
短いリハーサルの間、サリエーリがアーダムベルガーを片隅に連れてゆき、もし君がこの曲をオペラに挿入したら、ローゼンベルク伯爵がお気に召さないだろうと言いました。 そして、親友として、それを歌わないようにと忠告したのです。ローゼンベルク伯爵(Franz Xaver Wolf Graf Rosenberg-Orsini, 1723-96)は宮廷の演劇局長官である。 サリエリのこの忠告に対して、オペラで伯爵役となるアダムベルガーはそれを恐れて、次のように返答し、舞台で歌わなかったという。[書簡全集V p.384]
分かりました。 このアーダムベルガーは、すでにヴィーンで名声を博していて、わざわざ自分のために書かれた曲を歌って名を上げる必要がないことを示すために、もともと書かれた曲だけを歌って、生きているかぎり二度とアリアを挿入しません。このように言われてしまっては、モーツァルトは当然のことながら怒り心頭であった。 彼は、サリエリの「親友としての忠告」は作り話で、単なる虚仮威しに過ぎず、それを真に受けたアダムベルガーを「愚か者」と断じている。 上の手紙でモーツァルトは[書簡全集V p.384]
いまになって彼は後悔していますが、あとの祭りです。 もし彼が今日、あのロンドーをもらえないかと頼んできても、ぼくは断わりますね。 ぼくのオペラのどれかに、あの曲をごく簡単に使えるでしょうから。 この件でいちばん頭にきたのは、彼の奥さんとぼくの予言が当たったことです。 つまり、ローゼンベルク伯爵と当局の幹部たちはこれについて何一つ知らず、たんなるサリエーリの策略だったのです。と書いている。 ただし、現実主義者のモーツァルトはアダムベルガーとの交友関係をこの一事でご破算にするほど「愚か者」ではなかった。 アダムベルガー(Johann Valentin Adamberger, 1740-1804)は宮廷の主席テノール歌手であり、「後宮からの誘拐」初演(1782年7月16日)でベルモンテ役を歌ったことのある人物である。 モーツァルトがようやく宮廷音楽家(年俸800フローリン)として雇われるのは1787年暮れ(その採用通知を書いたのもローゼンベルク伯爵)であるが、一方のアダムベルガーは既に2,130フローリン(1781年)の高給を得ており、この程度のことで彼を袖にするのは無謀であった。 この件があった年末、1783年12月22日、国民宮廷劇場で催された演奏会(設立された音楽芸術家協会のためのもの)で、アダムベルガーはモーツァルト作曲によるロンドを歌ったという記録があり、もしかしたらこのアリア(K.420)が使われたかもしれない。 むしろ歌われたと推測する方が自然であろう。 それによって、ローゼンベルク伯爵の目前で双方の和解を印象づけ、同時にサリエリをはじめとする敵対グループに対しては双方の間に一分の亀裂もないことを見せ付けることのできる絶好の(一石二鳥の)機会となるからである。 それどころか、ことの成り行きを見守っていた友人・知人たち、アダムベルガー自身(もちろん彼の妻マリア・アンナも)は「これで一件落着」と、胸をなで下ろすことができたであろう。 このような胸がすく決着を見せれば、アロイジアをさらに自分の方に引き付けることになるとモーツァルトが考えても不思議はない。[書簡全集V p.384]
ところで、アインシュタインはなぜか、アロイジアのための2つのアリアに対する評価が低いのに対して、この曲は「はるかに優れたものである」と前置きし、次のように最高級の賛辞を贈っている。
それは秘められた興奮からあらわな最高の興奮への高揚である。 モーツァルトがこれほど多量のトレモロ、クレッシェンド、スファルツァートを弦楽器パートに多く用いた個所は、他にほとんど見当たらない。 もしこの曲が『フィガロの結婚』または『ドン・ジョヴァンニ』のなかにあったならば、世界的に有名になったであろう。[アインシュタイン p.501]
内容は、オペラ第2幕第4場でリパヴェルデ伯爵が、恋するクロリンダとカランドラーノ侯爵の友人アウレリオの話を立聞きして、誤解による嫉妬にかられて歌うものである。 最初は、アンダンテ、変ホ長調、2分の2拍子で、自分の説明できない悩みを自問しているが、途中でアレグロ・アッサイ、4分の4拍子に変り、自分の不幸な運命に怒り狂って神に死を念じる。 その作詞者(原作の方も)は不明。
■歌詞
| Per pietà, non ricercate la cagion del mio tormento, si crudele in me lo sento, che neppur lo so spiegar. | どうぞ、たずねないで、 私のこの懊悩の原因を。 この身にこれをあまりに辛く感じては その説明さえできかねます。 ・・・(以下、略) 石井宏訳 CD[EMI TOCE-6598]
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■演奏
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CD[EMI TOCE-6598] t=6'57 シュライヤー Peter Schreier (T), ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団 1980年9月、ドレスデン |
■引用文献
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