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K.345 (336a) エジプト王ターモス合唱と幕間音楽Thamos, König in Ägypten -- Play with music in 5 acts ■編成 SATB, 2 fl, 2 ob, 2 fg, 4 hr, 3 tb, timp, 2 vn, 2 va, vc, bs ■作曲 1779年(初稿は1773年)ザルツブルク |
■構成(旧稿)
フォン・ゲーブラー男爵(Tobias Philipp Freiherr von Gebler, 1726-86)の作詞による英雄劇。 彼はフリーメーソンであったという。 ザットラー(Johann Tobias Sattler)に作曲依頼したが、作品に不満で、モーツァルトに注文しなおした。
ボヘミヤ宮内省の枢密顧問官兼副長官だったこの詩人は、彼の戯曲の第一幕と第五幕にある二つの大きな合唱場面の作曲を、はじめ学士ヨーハン・トビーアス・ザットラーという人に委任し、その仕事をさらにグルックに吟味させたのであった。 それでもなお、この音楽は彼を満足させなかったとみえて、彼はモーツァルトに新しい音楽を注文したのである。[アインシュタイン] p.619
この作品は、後の『魔笛』(K.620)と同様に、フランスのフリーメイスン小説、テラソン神父の『セトス』に想を得た擬神話的な壮大なフレスコ画的ドラマである。 実際のところ、ゲーブラーは作曲を結社員の誰かに依頼しようと思ったらしい。 ゲーブラーは、この「モーツァルトとかいう人物」(1773年に彼がベルリンの友人に書き送った言葉)に依頼する前には、グルックを作曲者として考えていたようだ、とテオドール・ド・ヴィゼワは記している。
ついでながら、モーツァルトとゲーブラーを結びつけたのは、どうやら友人のメスマーのようである。[コット] p.134
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この依頼を受けて、17歳のモーツァルトは1773年8月から9月にかけてウィーンで(またはザルツブルクに帰郷後)曲の合唱(第1と第6曲)と5曲の間奏曲を作曲し、完成させた。 それがケッヘル番号K.173dとして位置づけられている。 それにはゲーブラーは満足したようで、「第一の合唱は実に美しい」と言っている。 翌1774年4月4日、ケルントナートール劇場でウィーン初演され、さらに、1776年1月3日、ザルツブルクで上演されたという記録がある。 なお、モーツァルトとゲーブラーを結びつけたのがメスマーかどうかははっきりしないが、メスマーはモーツァルトにジングシュピール「バスティアンとバスティエンヌ」(K.50)の依頼をしたことでも知られている。
その後1779年にベーム劇団がザルツブルクで上演するとき、大幅な手直しを加えた。 それがK.336である。
両合唱曲を修正し、第二の合唱曲には根本的に手を加え、さらに第三の合唱曲を追加したが、この曲のテクストはゲープラーの戯曲中には見いだされない。 おそらく彼は五つの器楽間奏曲をも、この機会に改訂したことであろう。その結果、「最初の合唱曲は力強い朝の賛歌、太陽への挨拶であり、ロンド風に回帰する荘重なトゥッティと男声と女声の半数合唱を持っている。 これに比肩しうるのは、モーツァルト自身の最大の合唱曲の二、三、すなわちハ短調ミサ曲(K.427)のなかの諸楽曲やニ短調キュリエ(K.341)だけである。」(アインシュタイン)という傑作に変身した。 劇の内容は後の「魔笛」を先行すると言われ、アインシュタインの言葉通りに「断片的な形でしか保存されていないのはまことに残念」である。 作曲者自身が、1783年2月15日付けの手紙で、父レオポルトに書いている。[アインシュタイン] p.619
ぼくが『ターモス』のために書いた曲を活用できないのは、とっても残念です! でも、この作品は、当地では気に入られなかったので、不評作の仲間入りをしました。 再演されることはないでしょう。 ただたんに音楽だけのためならば、再演奏されることもあるでしょう。 でも、それは多分むつかしいでしょう。 実に残念です![書簡全集 V] p.341
余談になるが、1791年8月プラハで、皇帝レオポルト2世のボヘミヤ王即位戴冠式があり、そのとき宮廷楽長サリエリが20人の宮廷楽士を連れて随伴したが、よく知られているように、サリエリはモーツァルトのミサ曲3曲を携えて行き、式典でそれらを演奏指揮した。 そして、ミサ曲とは別に、サリエリはこの「エジプト王ターモス」からラテン語のモテットに編曲した合唱曲を演奏したといわれる。 このとき、モーツァルトも妻コンスタンツェと弟子ジュスマイヤーを伴ってプラハへ向かったが、これが彼の最後の旅行となり、そして12月5日に永眠した。
■あらすじ
エジプト王メネスはラメッセスの陰謀で王位を追われ、死んだと思われていたが、 ゼートスという名で、ヘリオポリスの太陽の神殿で高僧を務めていた。その娘タルジスは父を知らないまま、ザイスという名で育てられていた。 彼女はラメッセスの息子タモスと愛し合っていたが、重臣フェロンがザイスの愛と王位を奪おうと企み、太陽の神殿に仕える娘たちの長ミルツァがそれに協力する。 そこへゼートスが現れ、王メネスと判明する。ミルツァは自殺し、フェロンは雷に打たれて死ぬ。タモスはタルジスと結ばれ、王位が譲られる。
■演奏
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CD [POCL-6027] 4つの間奏曲 t=18'20 マーク指揮ロンドン交響楽団 1959年、ロンドン |
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CD [TELDEC WPCS-6363] t=42'20 コレギウム・ヴォカーレ, オランダ室内合唱団, アーノンクール指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 1980年11月、アムステルダム |
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CD [Polydor POCA-1068] 旧稿 t=30'12 & 改訂稿 t=24'00 モンテヴェルディ合唱団, ガードナー指揮イングリッシュ・バロック・ソロイスツ 1991年10月、ロンドン ※コンラート・キュスター(磯山雅訳)の詳細解説あり。 |
■関連
■引用文献
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